日本の社会と経済と政治を考える今だから反グローバリズム・反新自由主義

新自由主義・グローバリズムに対する当サイトの見解
なぜ今、反グローバリズム・反新自由主義なのか
なぜ今、反グローバリズム・反新自由主義なのでしょうか。
それは、新自由主義の矛盾と無能さ、無責任さが明らかになったからです。

新自由主義とは、市場原理を貫徹するため、経済活動の完全な自由を目指して、政府の経済への介入や政府の経済活動を最小化することです。
しかし、新自由主義を唱え、政府の経済活動への不介入を唱える人ほど、いざ自分の企業が危なくなると、公的資金の注入による救済を唱えるのです。
リーマンショックの時のリーマンブラザーズやゴールドマンサックスの経営者達がそうでしたし、GMも、そうでした。彼等、新自由主義を唱える人達にとっての新自由主義とは、信じるものではなく、利用出来る価値の一つに過ぎないのです。

また、日本は20年以上、ずっと新自由主義に基づいた経済政策をとってきましたが、その結果はどうだったでしょうか。『失われた20年』として世界に恥を晒し、中国に追い付き追い越されるという最悪の結果に終わりました。
新自由主義が、いかに無能で無意味なものかが立証されたのです。

しかし、新自由主義を進めた人々は、この明らかな失敗について、「まだ改革が足りないからだ!」「まだ規制緩和の余地がある!」などと、言い訳と責任回避に汲々として、自らの誤りを絶対に認めようとしません。
このままだと、日本は悪くなる一方です。だからこそ、今、新自由主義に対抗して、反グローバリズム・反新自由主義を掲げなければならないのです。
新自由主義とは何か?
皆さん、新自由主義とは何か、ご存知でしょうか。

新自由主義とは、政治や経済において、より自由な権利と個人主義を追求する思想に基づいた活動を指します。
ただし、日本では主に、経済面においてのみ、使われるものです。日本における新自由主義とは、経済活動の自由化を進めて、市場原理を貫徹することによって、経済活動をより円滑に、より活発に、より効率的にさせて、日本経済をより強くしようとする思想を指します。

では、新自由主義とは、日本経済にとって、役に立つ良い思想なのでしょうか。
日本は、バブルが崩壊した90年以降、急速に新自由主義に舵を切りました。
まず、緊縮財政を掲げて、政府の日本経済における役割を減らそうとしました。そして、経済活動を民間に委ねようとしたのです。
そして、そのために政府自民党がしたことは、規制緩和・構造改革・民営化の三点セットです。
規制緩和は、最も弊害が大きいものでした。新規参入、特に大企業が続々と参入したことで、多くの業種で過当競争が起きました。商品やサービスの価格はドンドン下がり、体力のない中小企業は次々に潰れました。それでも価格の下落は止まることなく続きました。そしてそれは、売上減少→利益減少→コスト削減→リストラ実施→国民の購買力低下→売上減少というデフレスパイラルを引き起こし、日本経済を出口の見えない奈落へと突き落としたのです。
構造改革も、日本経済に大きな痛みを与え、日本人の夢と希望を奪うものでした。構造改革は、色々行われました。マスコミでよく取り上げられるのは、霞ヶ関再編を伴う国家公務員改革ですが、日本に最も大きな影響を与えた構造改革とは、派遣解禁ではないでしょうか。これが実施されて以降、日本人の賃金は右肩下がりに低下しています。
日本人を貧困化させて、失われた20年を招いた最悪の政策と言えるでしょう。
そして民営化です。
電電公社や国鉄、日本タバコや郵便局など、今まで多くの国有企業が民営化されました。一見、デメリットはないように見えます。しかし、例えば郵便局は、集めた貯金を、財政投融資として国に貸し出していました。この資金がなくなり、経済も税収も落ち込んだ政府は、ますます緊縮財政に走り、公共事業カットに走ります。
民間の経済活動が低迷する中で政府が適切な財政出動を行われなければどうなるでしょうか。どこまでも経済は落ち込むのです。

このような日本の歴史から、新自由主義は、日本経済を落ち込ませ、日本人を貧困化させてきた悪しき政策であり、日本にとって百害あって一利もない間違った政策なのです。
反グローバリズム・反新自由主義は何を目指すのか
反新自由主義とは何か。
そして、反新自由主義とは、何を目指しているのか、皆さんご存知でしょうか。

反新自由主義とは、新自由主義に対抗して、経済を好転させることで国民を全体的に底上げして豊かにすることを目指す思想です。
経済をより良くすることで、国民生活をより良くすることを目指す。これが、反・新自由主義の目指すことです。
もっと言えば、日本人の歴史や文化・伝統を守りながら、日本経済と日本人の生活をより良くすることです。
そのため、橋下徹大阪市長のように、日本人同士をいがみ合わせ争わせるような政治手法や、日本人の生活と生命を守るために、公共事業の削減にも反対します。

反・新自由主義の理念に共感してくださった方、理解してくださった方は、是非、反・新自由主義の理念を広めて頂けるよう、お願い致します。
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新自由主義・グローバリズム6つの危機
雇用と労働条件・格差と貧困化の危機
新自由主義やグローバリズムとは「必ず」雇用と労働条件を悪化させ、格差と国民の貧困化を生み出すという結果がついてくるのをご存知ですか?

簡単に言えば新自由主義とは資本主義の原理を最も重視する思想です。何よりも市場を優先するので「市場原理主義」とも言われます。市場原理とは市場において弱者が淘汰され強い企業が生き残ることにより経済の効率化が図られるべきだとする考えです。具体的には競争を阻害するあらゆる規制を排除し、労働者も機械も物資もすべて「資源」という同じレベルで利用して、投資収益の最大化を目標とします。そのため効率性の点から言えば極めて高い生産性を発揮します。しかし効率性が高ければ国民が幸福になるのでしょうか?

有名なフランスのトマ・ピケティ教授は著書「21世紀の資本」において世界中の所得に関する膨大なデータを解析し、資本主義経済の元では貧富の格差が持続的に拡大することを明らかにしました。そして新自由主義は格差を生む資本主義の考え方を社会全体に徹底させようとする思想です。現在日本ではそうした新自由主義的な構造改革がマスコミや政治家によって推進されていますが、これにより格差が拡大する可能性があります。こうした格差を縮小するためには富の再分配が不可欠ですが、新自由主義では富の再分配は競争を妨げる政策だと考えられ、むしろ法人や富裕層の減税を主張します。

ところで資本主義は必ず失業を生みます。なぜなら企業は生産性が向上して人手が余ると解雇しようとするからです。新自由主義では労働者も「資源」の一部に過ぎません。ですから、その利用も効率が優先されます。企業が効率に基づいて雇用や解雇を自由自在に行えば人間性の介在する余地はありません。労働規制を撤廃して企業が自由自在に労働者を解雇すれば確かに高い生産効率を得られます。しかし効率化によって解雇が増えるのに国民は豊かになるのでしょうか?

失業が増加すれば、そうした人々に雇用の機会を与えようと考えることは当然だと思われます。そのために政府が公共工事などをはじめとする財政支出を増加して雇用増に努めますが、新自由主義は財政支出の効果を否定します。雇用は民間投資による供給力の増加から生み出さなければならないと主張しますが、途上国のように供給不足の経済環境ならいざ知らず、今日の先進国では需要不足が深刻であり、政府支出の是非を議論している間にも多くの人が生活に苦しんでいるわけです。

実際に今の世の中がどうなっているかといえば、規制緩和で生産が効率化されて大企業には莫大な内部留保が積みあがり、株主への配当金が増加する一方、非正規雇用の割合は年々増加し、サラリーマンの賃金所得は一貫して低下を続けてきました。その一方で驚くことに社会には格差を正当化する風潮が蔓延し始めました。いわゆる「格差は自己責任論」です。効率最優先の経済構造の問題点を否定し、個人主義的な能力論で格差を説明する人々です。彼らには共通して拝金主義の傾向があり、バブルだろうが何だろうがカネを儲けた者が正しく、貧しい者は間違っているとの思想があるようです。すでに新自由主義は人間の価値観にすら悪影響を及ぼし始めています。

また新自由主義はグローバル経済を強力に推進しています。グローバル経済も国家間における資本の移動を阻害する規制をすべて廃止し、資源の効率的な活用を最優先に考える方法です。確かにグローバリズムによって世界の経済規模が拡大したことは間違いのない事実です。しかしそれで世界の人々は満足しているのでしょうか?

世界でグローバル企業が続々と誕生し、貿易で莫大な利益を稼ぎ出して巨大企業へと成長してゆきました。しかしその一方で先進国では多くの産業が途上国へ工場を移転したため人々は解雇され、賃金は低下を続けています。なぜなら途上国の生産コストが低いからです。途上国では労働者が極めて安い賃金で労働し、コストを抑えるために環境汚染を防止するための十分な対策も施されていません。このような国で生産された格安の製品が国内に輸入されれば、それを販売する企業は莫大な利益を得られますが、国内で生産される商品は太刀打ちができず、従業員の解雇や賃金の切り下げが行われます。過去においてこれらの問題は関税によって調整されてきましたが、新自由主義は関税による調整機能をすべて廃止しようとします。そのためグローバル企業が莫大な利益を確保する一方、先進国では失業者が増えて格差が拡大しています。

また、途上国では環境破壊が深刻化すると共に格差が拡大して政情も不安定化しています。グローバル化によって今までにない規模で途上国へ莫大な投資が行われるようになり、それによって現地の不動産や生活用品などの物価がどんどん上昇し、それまで普通に生活していた庶民が貧困化してゆくのです。アラブ諸国でも貧富の格差が拡大し、暴動によって政府が倒されましたが、政情は混迷を極めています。貧困と格差がテロの温床であるとの指摘が以前からされてきましたが、それは近年ますます悪化しているようにすら思えます。

グローバル化で途上国の成長を取り込めば雇用が生まれると主張する向きもありますが、そもそも途上国に産業が移転したため失業が増えたのですから、むしろ途上国への輸出に依存せざるを得ない経済構造に変化しているに過ぎません。その結果、途上国も先進国も相互に経済的に依存構造となり、ある国で経済危機が発生すると世界中に連鎖して同時不況をもたらす結果になっています。そして一国の中で失業対策として使われたおカネも、ザルのように他の国に流れ出してしまうのです。それが成長を取り込でいることになるのでしょうか?

新自由主義が効率的であることは事実でしょう。そして新自由主義によって経済規模は拡大するかも知れません。しかしあくまでも資本主義のシステムは投資収益を追求することが目的であり、庶民の幸福はその副次的な産物すなわち新自由主義者の主張する「トリクルダウン(おこぼれ)」に過ぎないのです。自由放任すなわち「神の手」にすべてをゆだねてはなりません。資本の自由だけを徹底的に優先する新自由主義によって、世界の格差はさらに拡大し貧困が増加する危険性があるのです。
外国人移民による治安悪化と民族文化の危機
外国人移民の増加によって治安の悪化や民族文化の危機がもたらされる可能性がある事をご存じでしょうか?新自由主義やグローバリズムを信奉する人々にとって労働者はモノやカネと同じ資源に過ぎませんから、彼らは外国人労働者や移民政策を推進しています。その口実に使われているのが人手不足です。日銀の金融緩和政策や東北被災地復興事業の本格化によって建設や外食など一部産業で人手不足が生じているのは確かですが、事務職や中高齢の失業者はまだまだ多く、経済的な理由から生活保護を受けている人もたくさんいます。しかも労働条件の面でもワーキングプアやブラック企業の問題がまだまだ解決したわけでもないですし、実質賃金もほとんど増加していません。それなのに、なぜ海外から労働力を急いで導入する必要があるのでしょうか?

新自由主義は資本主義の価値観を徹底する思想ですから、株主や企業の利益が最優先されます。つまり移民の目的は海外から安い労働力を導入することで企業の儲けを増やすことにあるではないかと推察されます。日本の長期デフレの間に成長した産業は「わたみ」「すき屋」「ユニクロ」といったブラック企業だったことを忘れてはなりません。つまり日本の企業は自らの技術革新で競争に勝ち残るのではなく、安い労働力で他社を駆逐する悪癖つまり「ブラック」に染まっているのです。その根底にあるのは労働力を資源としか見ない新自由主義的な拝金主義です。それは社会にとって健全なことでしょうか?

あくまでも労働力を担うのは人間であり、便利に利用して使い捨てできる対象ではありません。労働力が足りないから移民を受け入れて、必要が無くなったら解雇すればいいという人間性を無視した無責任な対応はできません。ですから移民を受け入れたなら、二度と元に戻すことはできないのです。

移民が様々な問題をはらんでいることは、すでに欧州における数多くの事例により具体的に知ることができます。欧州において人口に占める外国人・移民の割合(外国生まれの人口)は年々増加しており、2012年においてドイツで12.4%、イギリスで11.9%、フランスで11.9%に達しています。ちなみに移民の国として知られる米国でも13%であり、欧州もすでに米国並みに移民の多い国になっています。このため欧州では日本ではありえない移民に関する問題が生じています。

その最も大きな問題は治安の悪化であり、テロや暴動の発生です。2015年11月にはフランスで過激思想に染まった移民によって数百人が死傷するテロが引き起こされました。しかしこれはイスラム過激派だけの問題ではありません。アメリカでは黒人暴動が頻発していますし、人種差別の問題も発生しています。理想論はあまりにも非現実的であり、実際には同じ地域に異文化のコミュニティーが混在すればこうした問題が必ず発生します。人間は理性で生きる動物ではないからです。もちろん現在日本に居住している外国人を排斥する必要はまったくありません。外国人の数が少ない場合はまったく問題ないからです。しかし移民のように大挙して押し寄せるなら話は別です。外国人街のような独自の社会を形成し、独自の価値観を主張し、やがて政治的・経済的な地位を要求するようになります。これは人間の性質ですから、必ずそうなります。こうなると近隣の地域社会との間に軋轢が生じるのは時間の問題です。つまり移民とは人間の本質や性質を無視した、極めて人工的で不自然な政策なのです。

現在は日本の景気が上向きかけているため移民の利点にのみ目が行きます。しかし移民が問題になるのは不況の時です。欧州でも好況の時は人手不足を補うために移民や外国人労働者を大量に受け入れましたが、大きな問題はありませんでした。しかし不況になれば外国人労働者から先に解雇されます。失業した外国人がたくさん集まれば集団心理によって負の感情が増幅されます。外国人の数が少なければそうしたことは生じません。こうした強い負の感情を持った集団が形成されるのは危険なのです。こうした集団が暴動やテロを引き起こします。

また万一日本が移民を受け入れ、日本の人口に占める移民の割合が増加するならば、長期的に日本の民族性や文化的統一性は失われてゆきます。表面的な形として歌舞伎や能などの伝統文化を継承したとしても、その背景にある民族的な精神や価値観を外国人の集団に継承することは不可能だからです。日本人の集団に異文化を取り入れることと、日本人の集団に外国人を取り入れることはまったく別の意味を持ちます。それは人工的にキメラ(異なった遺伝情報を持つ細胞で構成された生物)を生み出すことと同じです。すなわち化け物です。人間でも馬でもない別の何か。つまり日本は、日本でもない外国でもない別の何かになってしまい、国家アイデンティティーを喪失した顔のない国になります。新自由主義が先導する移民政策によって世界には顔のない国がどんどん増え、たとえ国名が違ってもどの国も多人種が混在した同じキメラ国家となり、やがて世界は地域特性も民族的多様性も失われた「のっぺらぼう」な姿に生まれ変わります。もちろん、労働力をモノやカネと同じレベルで考える思想からすれば、当然なのでしょう。

移民における最も危険なシナリオは日本国家への侵略に移民が利用されることです。冗談のように思えますが、そう言い切れるでしょうか?なぜならウィグルやチベットで中国共産党が採用している戦略が移民政策だからです。中国共産党が戦後のどさくさに紛れてウィグルとチベットを占領した後、それらの地域に膨大な数の漢族移民を行ったことはあまりにも有名です。その結果として同地域ではウィグルやチベット民族の人口よりも漢族の人口が上回り、民主的な選挙を用いても政治的に中国支配を逃れることが不可能な事態となっています。これが戦略的に行われているのです。もし日本が移民を自由に開放してしまったら、それを中国共産党が利用しないと考える方が非現実的です。

そもそも移民や外国人労働者は必要なのでしょうか?確かに日本では少子高齢化が進行しており、生産年齢人口は毎年1%ほどのペースで減少しています。このため人手不足による生産力の不足が心配されています。しかしロボットや人工知能などの進歩によって生産性が飛躍的に向上している今日、逆に生産力の過剰が失業を引き起こすとの心配もされています。つまり人手不足は生産性の向上によって解消可能なのです。生産年齢人口が毎年1%減少しても、生産性が毎年0.6%上昇すれば日本の一人あたりの生産力は維持できます(同時に総人口が減少するため扶養人口も減少する)。日本の生産性上昇率は平均して0.9%ありますから、日本がさらなる設備投資や研究開発投資を継続すればそれ以上の生産性の向上も望めるでしょう。

人が足りなければ外国から連れてくれば良い。人件費が高ければ安い外国人を利用すれば良い。企業がそんな安易な発想で良いのでしょうか?そうした労働力をモノのように考える新自由主義的な発想から脱却し、日本は少子高齢化に対して正攻法で立ち向かうべきでしょう。人々の知恵と努力による生産性の向上こそが少子高齢化を克服し、持続可能な社会を実現するはずです。
食卓の安全と安心の壊滅の危機
毎日おいしくご飯を食べている日々の食卓、その安全と安心が危機に晒されている事を、皆様はご存じでしょうか?

私たちが毎日いただく食べ物が、新自由主義的政策とグローバリズムによって危機に晒されているのです。

現在日本はTPPを始めとする自由貿易交渉を進めています。自由貿易と言う言葉を聞いて悪い印象を持たれる方は少ないのではないかと思います。しかしその自由貿易も行き過ぎれば、関税の引き下げや規制の緩和などによって、今までそういった政策に守られながら作り続けてこられた日本産の食物も、自由貿易の名のもと、その政策を取り除かれ、外国からの安価な食物との競争を強いられることになります。そうなれば間違いなく日本産の食物の多くは敗退する事になるでしょう。

つまり日本の食料自給率は低下の一途を辿るという事です。
もともと我が国は食料自給率カロリーベースで39%(2013年度)、生産額ベースで65%でしかないのです。我々の口に入る食物の半分が外国産ということになります。しかも穀物に限ると小麦52.1%、トウモロコシ44,8%、大豆60.1%に上る「量」が、「アメリカ」一国に依存しているのです。

2010年に、ロシアは干ばつを理由として、小麦、大麦、トウモロコシなどの輸出禁止を行いました。困ったのはロシアから多くの小麦を輸入していたエジプトなどの国です。結果、エジプトをはじめとする中東地域において食料価格が高騰し、暴動などが起こり、それを一因として「アラブの春」に起こったと言われています。

仮に北米大陸が極度の天候不順などにより、穀物の生産が激減した場合、「アメリカ」は自国の国民の為に、わが国への穀物輸出を減らすか停止するでしょう。自国民を優先する、当たり前の話です。

つまり、その時我々は何らかの方法で、それら穀物を手に入れなければ「飢える」事になるわけです。もし、その天候不順が北米だけでなく世界的なものであったならば、どういう事になるのでしょうか?想像してみてください。それほど食料自給率の低さや、食料をある一国へ依存することはリスクを伴うものなのです。

1990年代以降、アメリカの「食」に関して特筆すべき作物が登場しました。複数の生物遺伝子を人工的に合体させ、まったく新しい遺伝子構成に組み替えた遺伝子組み換え作物です。現在、遺伝子組み換え作物は、その作付面積において大豆は全世界の82%、トウモロコシは30%、綿は68%を占めています。恐ろしいのは遺伝子組み換え種子市場はアメリカの巨大穀物メジャーであるモンサント社など数社による寡占状態となっている事です。

1998年スコットランド農業省の要請で遺伝子組み換え作物の安全性に関する科学的実験が行われました。3年にわたって遺伝子組み換えジャガイモをネズミに与えるという実験です。その結果ネズミの免疫システムに異常が発生することが分かりましたが、この研究結果を発表した途端、その科学者アーパッド・パースタイ博士は研究所を解雇され、その研究結果を多くのマスコミ、学者グループが非難するに至りました。

つまり遺伝子組み換え作物によって莫大な収入を得ている巨大穀物メジャーによる、なんらかの情報統制が行われている疑義が大変濃厚であると言う事なのです。

現在、日本では大豆、ジャガイモなど農産品で8作物、添加物では8種類の遺伝子組み換え作物の流通を認められていますが、国の規制として加工品の原材料として使用する場合、パッケージ表示が義務付けられています。さらに日本には遺伝子組み換え作物の流入を食い止めている事業体があるのです。「全農グループ」です。「全農グループ」はアメリカの農家と直接契約を交わすことによって、日本に輸入する作物の選別を行っているのです。全農グループのシェアは全取引量の29%。つまり日本に流通するおよそ3割の作物に全農グループが目を光らせることによって、他の競合相手も「同じサービス」を求められる結果となり、輸入全体の作物の安全が守られてきたわけです。

どうしてそのような行為が行えるのでしょうか。それは「全農グループ」が「協同組合」であって「株式会社」ではないからです。「協同組合」とは「組合員」と言う名の「日本国民」への貢献が最大の目的とされるのです。しかし、2015年に安倍内閣が実施した「農協改革」によって「全農グループ」の「株式会社」への道が開かれました。「株式会社」の最大の目的は、「自社」の「利益の最大化」です。そこには「お客様」と言う名の「国民」への安心、安全と言う概念は存在しません。

国内産業を守る盾としての関税の引き下げ、協同組合として利益に囚われず組合員と言う名の日本国民への貢献を最大目的としてきた全農グループを株式会社にする道を開いた農協改革、これらは全てグローバリズム、規制緩和という新自由主義的政策なのです。

確かに全農グループに問題がない訳ではないでしょう。確かに他国との自由な貿易を行う事は有効な関係を築くうえで必要な事なのでしょう。しかし、今までご説明させていただいたように、全ては日本国民の安心と安全を確保してからの事なのです。日本国民の安心、安全を犠牲にしてまで「協同組合」の改革や他国との自由な貿易を推進する必要はないと思うのです。
南海トラフ地震・首都直下型地震で日本壊滅の危機
今後30年以内に7割の確率で起こるであろうと言われている、南海トラフ巨大地震、首都直下型地震はご存知でしょうか?
日本がこのまま新自由主義・グローバリズムに身を任せ、小さな政府を標榜し、インフラによる防災・減災対策をしない場合には日本経済は実にGDPの42%以上が損壊するという壊滅的危機に7割の確率でなるという結果です。

もしも南海トラフ巨大地震・首都直下型地震が起きてしまえば日本の近畿、東海、関東圏という正に「日本経済の中心部」が破壊され二度と日本は立ち直ることが出来ないかもしれません。

多くの地震学者の見解によりますと、南海トラフ巨大地震は今後30年以内に7割の確率で起き、またその際にはほぼ首都直下型地震が起こると言われております。
3.11東日本大震災を思い出してみてください。その震災以上の巨大地震が日本の経済圏の中心で起こるのです。

政府による被害想定額は220兆円、断水被害3400万人、停電被害2700万件、避難者950万人。
つまり合計すると国民の過半数の6800万人程度が被災する可能性を示しています。
この被害想定額は東日本大震災 の実に10倍に及ぶとの試算です。

さらに死者数は30万人以上という想定になっています。
東京にも巨大地震が起き、一瞬にして日本の国家機能が麻痺する姿を想像してみてください。

このまま政治が小さな政府を目指す新自由主義・グローバリズムな方向に進みますと、新自由主義・グローバリズムはそもそも「効率化」が至上目的なので、国民の安全保障という非効率なものに予算を使いません。

ただでさえ新自由主義・グローバリズムが推進された失われた20年間に、大幅なインフラの老朽化に伴う更新時期を迎えているにもかかわらず、公共事業を削減しています。
そしてそれがさらに今後行われるようであれば、防災・減災どころではないという話になります。

安全保障とは何でしょうか?
一般的には軍事のみを指す言葉であると思われていますが、実際には国民の安全・安心な生活を守るために必要なこと全てにかかる言葉です。
そして安全保障とは「万が一」に備えるものであり、平時においては「非効率」とみなされがちです。

しかしながら南海トラフ巨大地震が起こってからでは、日本は壊滅的状況に陥り、日本の供給能力の実に42%が失われ、復興しようにも東京一極集中の現状ではそれすらままならない、という危機的状況にあるわけです。
はたして現実的に十二分に起こりうる地震に備えることは非効率でしょうか?

ただでさえ災害大国の日本において、常時災害に備えなければ国民の安全・安心など到底叶えることが出来ないでしょう。

また南海トラフ巨大地震は太平洋側を中心に被災します。
太平洋側は太平洋ベルトと呼ばれ日本の経済圏が集中しているラインでもあります。

では諸々の解決策としてどうしていけばいいのか?
まずはインフラの冗長性の確保と、各地域間を高速交通網で網の目のように結ぶ、ということが挙げられます。
特に日本海側インフラに投資することで、被災地域への支援物資等々の搬送が可能になります。
また各地域間を高速交通網で結ぶことにより、地方経済の活性化と人口、経済の分散化が可能と考えられます。

これは北陸新幹線が出来た金沢が現在景気が良くなっている、という事実からも確定的に申し上げることが可能です。
そして経済の分散、人口の分散をすることにより、たとえ太平洋側が被災しても日本海側が復興支援を出来るという経済構造にしていかなければなりません。

他にも建物等々の耐震強度の補強への補助金、老朽化したインフラの更新、地域間での防災・減災の行動マニュアル等々いろいろ考えられますが、はやりこれらには政府の力が必要であり小さな政府なんぞは自殺願望としか考えられません。

さて、このようなことを言うと「日本は借金があるからそんなことは出来ない」と反論をする方がおられます。
まずもって日本政府の国債は全て円建てであり、その円の信用は日本の供給能力が担保しております。
つまり南海トラフ巨大地震でその供給能力が損壊したときに、円の信用が地に落ちるのだろうと思います。
逆に経済・人口を地方分散しておけば円の信用を保つことが可能なのです。

またインフラ整備は日本の供給能力を上げる行為にもなりますので、そのための投資として国債を発行しても何ら不都合は起きないと考えられます。

さらには「公共事業は一部の企業だけ儲けさせる話だから駄目だ。既得権益だ」との反論もあろうかと思います。
仮に上記が既得権益と仮定してみても、皆様はご自分の命、安全、安心と既得権益の打破というお題目のどちらが大事なのですか?
まさに健康のためなら死んでもいいという話ではないですか?
また既得権益を駄目だとする方たちに問いたいのですが、在日外国人が「日本人は日本人であることが既得権益だ!不公平だ!」と言い出したらどうするつもりなのでしょう?


安全保障分野において今後30年以内に7割の確率で来る、南海トラフ巨大地震に備えないのは自殺行為であり、国家の自殺であります。
新自由主義・グローバリズムにおいては小さな政府を理想としておりますが、そんな主義思想に国民の命が晒され、国家の危機になって良いはずはありません。

日本において新自由主義・グローバリズム思想を取り入れるということは、国家が自殺をはかるのと同義なのだと強く断言致します。
そして国家が自殺をはかれば国民も当然ながら、無事ではすまず最悪命すら危険に晒されます。

日本において新自由主義・グローバリズムがいかに危険な毒物であり、だからこそ我々は反新自由主義・反グローバリズムを掲げております。国家の自殺を防ぐために。
過激な自由貿易(TPP)による壊滅的打撃の危機
先日、ある記事が目にとまりました。
嘗てお嫁さんにしたい女優さん1位だった榊原るみさん。映画監督のすすきじゅんいちさんとご結婚されてアメリカで生活していたそうです。

しかし、2010年9月29日、自動車の自損事故によって、榊原さんは軽傷で済んだものの、すずきさんは重傷を負われたそうです。
榊原さん一家は日本に帰国することにしたそうですが、その理由を榊原さんはこう話します。

「幸い、命に別条はありませんでした。ただ、驚いたのはあまりにも高い医療費と入院費。すずきは集中治療室に5泊、一般病室に1泊の計6泊7日して、医療費を除いた入院費だけで請求金額は1700万円超。保険に加入してたため、その何分の1かの支払いで済みましたが、他にドクターヘリでの救急輸送代が約170万円かかり、医療破産の恐怖を切実に感じました。老後の不安を考え、それで帰国することにしたんです」

アメリカは医療費で年間28万人もの人が自己破産すると言われる国です。しかし、このアメリカ国民の悲惨な状況を他人事だと言っていられない事態が日本にも近づいていて、安倍政権が大筋合意したTPP交渉によって、その恐れはさらに加速すると言えば、そんな馬鹿な、と皆さん驚かれるかもしれません。

「え!TPPって農業だけの問題じゃないの?」 と思われた人もいるでしょう。しかし、残念ですがそれは違います。最近の自由貿易交渉、とりわけアメリカとの交渉は、物の関税の上げ下げだけのものではなくなっているのです。

日本が大筋合意したTPP交渉(環太平洋経済連携協定)は、究極のFTA(自由貿易協定)と言われています。つまりTPPを考えるとき各国がアメリカと結んだFTAを見ればその性格が理解できるという事です。

アメリカとオーストラリアで結んだ米豪FTAはどうでしょうか。
オーストラリアでは政府からの補助金による医療品給付制度によって医療品の価格をアメリカの3分の1から10分の1に抑えてきました。
また新薬の価格が代替療法よりも高価な場合は、それが代替療法を上回る有効性を証明しない限り、新薬として認めない参照価格制度が採用され、国際的にもっともすぐれていると評されてきました。これが米豪FTAによって変更させられたのです。

参照価格制度を「不当に低い」薬価によって、アメリカ企業の知的財産権を侵害するとして、米豪FTAに基づいて「医療品作業部会」が設置させられます。この作業部会では厳格な知的財産権の保護を通じて革新的医療品の価値を尊重するという内容を採用する事になり、結果的に参照価格制度は骨抜きにされます。

アメリカと韓国が結んだ米韓FTAではどうでしょう。
韓国は日本の制度よりは低負担、低保障のものではありますが、もともと国民皆保険制度の国でした。

これも米韓FTAによって形骸化してゆきます。例によってアメリカ企業の知的財産権への侵害は防ぐために、アメリカの製薬会社が韓国政府の薬価算定に異議がある場合、独立した再審機構で審議することとし、しかもこの再審機構には韓国の公務員の参加を禁止しました。

そして薬の特許寿命を延長させる、もしくはジェネリック医療品の発売を遅らせる条項も盛り込みました。
つまりFTA(自由貿易協定)は、自国民へ、より安全な、より安価な医療品の提供を国家の責任においておこなう行為を、著しく制限し、より企業側の利益を配慮する制度へ強制的に変更させるものになっていると言うことです。

このような内容は実は医療分野だけではありません。実にさまざまな分野において、国家が自国民の為に責任を果たすべく長い歴史において築いてきた諸制度を変更せざるを得ない内容が数多く含まれているのです。

TPP協定の概要において、その分野たるや21に及ぶのです。マスコミ等で流される農産品の関税うんぬんなどと言うニュースはその中のホンの一つに過ぎません。

世界の国々と良好な通商関係を結ぶことは確かに大切な事です。其の為に日本が変わってゆくことも必要な時もあるでしょう。しかし、それも日本国民が幸せに生活でき、そして相手国の国民も幸せに生活できる、その相互扶助の思いの中での話であって、TPP協定やFTAなどから見られる特定の企業の利益の為になど行うべきでは決してないのです。

これまで見てきたアメリカとの自由貿易協定において、アメリカ国民は幸せになったのでしょうか。榊原さんの言葉を思い出してください。余りにも高い医療費と入院代。
この自由貿易協定においてのアメリカという国とは、それらによって暴利を貪ろうとしている連中であって、アメリカの一般国民ではないのです。
民主主義国家日本消滅の危機
新自由主義・グローバリズムというのは小さな政府を目指す、ということでよく知られております。
しかしながらこの小さな政府という意味をしっかりと考えた方は少ないのではないでしょうか?

小さな政府とは政府の権限を少なくして、市場競争と民間にすべて任せるということです。
逆に言えば政府の権限をどんどん小さくして、という事になります。

政府のやれることが少なくなればどうなるでしょう?
必然的に行政や国会の権限が少なくなり、それが意味するところは国民の権限の縮小にほかなりません。
もっとわかりやすく言い換えれば、政府が国民を保護する権限、国民がそれを決める権限が小さくなってしまうということです。

国民がいくら選挙で政治家を選んでも、権限自体が縮小してしまったあとでは選択できる政策自体が少なくなってしまう、という民主主義の危機的状況を招く恐れがあります。

これは例えばおとなりの新自由主義の優等生と言われる、韓国に同じような状況を見ることが出来ます。
韓国は構造的に現代やサムスンのような大財閥に、雇用やGDPの大部分を頼っている状況にあります。
GDPで言いますと韓国10代財閥企業の売上高でなんと、韓国のGDPの76%に達するとのデータも有ります。

さらに問題なのはこの財閥企業は外資がかなりの割合で入ってしまっている、ということです。
韓国の10代財閥とは銘打っていても、実質的には韓国企業ではなくなってしまっているものが多々あるということです。

これらの企業が政治に口を出してきた時に、政治は彼らに対して抵抗がなせるでしょうか?

アメリカの例で見ましても企業による政治への口出し、というのは問題が多々あると言われています。
いわゆるロビイストと呼ばれるグローバルな大企業が、政治家に働きかけて自分たちの会社の利益を最大化するための法律等々に関わっているとのことです。

まだアメリカの場合は「政治家に働きかけている」分だけ、民主的かもしれません。
日本においては官邸に「民間議員」と呼ばれる企業経営者等々が、会議にて出した結論をさも「官邸の意向」とい形で国会に持ち出すという手法さえとられています。

今のままでもかなり「国民による民主主義」が新自由主義・グローバリズムなビジネスの論理によって捻じ曲げられている現状ですが、これがさらに深刻化していくかもしれないということなのです。

小さな政府を目指し、政府の権限を弱め、グローバルな大企業による関与を強めることは、民主主義とは逆行したコーポラティズム(企業による支配)と何が違うというのでしょうか?

民主主義を守るためには、そして国民国家という形を守り自分たち自身で日本の未来を決めていくためには、断固として新自由主義・グローバリズムに反対をしていかなければなりません。
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