「浮いた存在」・「善意の塊という迷惑な存在」の日本

「日本的な良さは、海外では通じない」とか言われたりしますね。これに続く反応としては、次の3通りが主たるものでしょうか。

だから「(全て)海外を見習うべきだ!」
いや「鎖国するべきだ!」
そうじゃない「日本の良さを広めるべきだ」

個人的には、どれも〝一部正しくて半分は間違っている〟と思うわけですが、まずはこう考えてみたらどうでしょうか。

もしや、日本って世界の中では〝浮いた存在〟なのではないか?

 

振り返ってみれば、外交の重要な局面においては「誤解される」「こんなはずではなかった」が多い気がしませんか? 国際連盟にしろ、敗戦関連にしろ、最近の世界遺産やら韓国やら新幹線の話にしろ、どうも日本の実像が伝わっていない。

 

だからこそ

「事実を並べて正当性を訴えるべきだ」

「高度な技術力推しで日本製の良さと強みをアピールすべきだ」

という主張が出てきているわけですが、一度立ち止まってみましょう。
それらの主張は、相手国から見たらどういう印象になり、第三者的な国から見たらどういう印象になるのでしょうか。

 

演奏のコンサートにでも例えてみましょう。

ある人は数々の超絶的な技巧に加え、その精密さは群を抜いて素晴らしかった。しかし表現力も演出も欠如した演奏だった。

一方、他の人々は解釈の違いや粗の程度の差こそあれ、演奏曲の背景や主題を表現した演奏だった。

さて、聴衆からしたら、どちらの方向性の演奏が良いでしょうか。
片や巧みな技巧かつ正確無比で機械的、片や持てる技術の範囲で曲の解釈を情緒的に表現。

 

一般的には、場面に相応しい曲目、そして曲目に沿った表現をした人々の演奏が観客の心を惹き付けるのではないでしょうか。なぜかと言えば、一方は聴き手の存在や視座をほぼ無視しているという、まるで空気を読めていない演奏だったから。つまり問題外に近い。

そして、コンサートで不評だった奏者が次回のために取った対策は何かと言えば……より技術を向上させる! 当然ながら、次回のコンサートでも不評。

 

この顛末を傍から見るならば、技術に傾倒している生真面目な人は滑稽で仕方がありません。無論、演奏の技術のみを競うコンクールというか競技だったならば優勝は間違いないでしょうが、コンサートならば自動演奏が代用してくれます。

どうしても技巧のみで魅せたいのならば、演奏技術に加えてアクロバティック奏法などの特別な演出が必要になるでしょう。

 

しかしながらこの顛末は、外交における日本の迷走ぶりに当て嵌まっていないでしょうか。
つまり日本は、世界の情勢、世界の国々の歴史的背景・価値観、他国の視点から見た日本の姿、そのいずれもほとんど理解していないのではないか。
また演出の仕方が稚拙で、まるで辞書や校長先生の挨拶や結婚式での上司のスピーチとなってやしないか。更に、「場にそぐわない」とされる行動を取っているのは、日本だったりしないか。

 

ここで近年の国内情勢に目を向ければ、「中韓の横暴っぷり」に辟易して「普通の国」になりたいという気運が生じています。何が「普通の国」なのか、「普通の国」になることは良いことなのかは脇に置いておくとして、自己を再確立した上で諸外国とそれなりに付き合って行きたい、という現実的な路線を歩みたいのならば、初めに直視しなければならないことは次の3点です。

  • 日本と諸外国とでは、昔から価値観や認識の仕方が決定的に違っていそうである
  • 日本は自身のことも諸外国のことも大してわかっていない
  • 日本は表現の引き出しが少なく、演出も拙い

 

これまでの日本の無残な外交的敗北の歴史は、ここをきちんと押さえていなかったことが根源の一つでしょう。彼を知らず、己を知らず、戦略・戦術に乏しければ……そりゃ全戦全敗しそうなもんですよ。
なにせ日本て、強力な正攻法しか持っていないし、それしか出来ないようなもんだもの。

「事実」を淡々と突きつけたとしても、「事実」と「嘘」を織り交ぜた巧みな演出の前では欺かれて負けます。賄賂も加われば尚のこと。
世の中の〝ブランド〟を考えてみれば想像が着くと思います。

 

おまけながら、今回述べた日本の問題点をひっくり返して見るならば、日本は真面目で温厚で親切ということになります。
「必要は発明の母」と言われるように、諸外国が演出に長けている理由は、残念ながら騙し合いの世界で育って来たからです。幕末まではほぼ平和に育って来た日本が、世界の中でも例外中の例外の恵まれた存在だったんです。

 

というわけで、日本には悪意感知器が必要!? いやいや、日本には悪意が足りない!?

いずれにせよ国内に対して悪意と狡猾さを振るうくらいなら、諸外国に対してスパイスや隠し味程度には悪意と狡猾さを向けましょうよ……。


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  • コテヤン@どうやら管理人
  • charleyace
  • まさ

「「浮いた存在」・「善意の塊という迷惑な存在」の日本」のコメント一覧

  1. 1
    holyfirework 灯火  :

    同感です。
    元々、日本は人数的にも、予算的にも、諸外国に比べて情報収集および分析にかけては劣ると言われ続けてきました。まずは、そこの強化が必要でしょうね。

  2. 2
    コテヤン@どうやら管理人 コテヤン@どうやら管理人  :

    これもまた面白い。
    演出で一つ思い出したのですが、大東亜戦争時の日本とアメリカのプロパガンダの違いです。
    先日動画で見てまして「あぁ、本質的に違うのだなぁ…と」と思ったわけです。

    一例を上げますと硫黄島の星条旗ですが、実は掲げ直したそうです。
    旗が小さく、演出には向かないからと言う理由で。日本ではそのようなことは当時あまりしなかったと思います。
    言葉の言い換えは多々ありましたが…転進やら玉砕やらと。

    外交にはパワーポリティクス(力による外交)という言葉があるそうです。
    これが昔のみならず現代でも通用する概念だと感じているのですが、これも日本人は大変に苦手そうです。

    他にのちゃんとした保守と呼ばれる人たちは正道と道徳心を重んじますが、現代日本においてはますます少数派になってしまいました。
    う~む…考えさせられます。

  3. 3
    やまねろん  :

    >>灯火さん
    本当にとっても弱いみたいですね。戦前も現況と同じくらい、情報収集および分析が弱かったんでしょうか? その辺りの歴史は興味の度合いが低いので、ぜーんぜん調べたことがないんです。軍事にはどうも興味が……。

    >>コテヤン@どうやら管理人
    そこら辺の違いは、宗教、歴史、育った環境、言語、仕草と全てに現れていると思います。
    3、4回目は、私なりの捉え方で解釈してそれらにも触れているので、是非読んでみて下さい。予め申し上げておくと、結構ヒドイ表現です(笑