「武器」を吟味する日本

「日本はもう成長できない~」と日本ダメダメ論のうつ病的な人々から見れば、日本は衰退弱小国家と映るようですが、果たしてそれは現実の姿でしょうか。

 

【経済】GDPは世界第3位
【技術】自動車、電機電子、金属加工、無機・有機化学、情報科学など様々な分野で世界の上位に食い込んでいる、ちらほらと世界随一のものも
【食文化】和食という文化を持ちつつガラパゴス状態
【農畜水産業】食料自給率はカロリーベースで4割程、生産額ベースで6割程、プランテーションのような事態には陥っていない
【言語】日本語
【学問】医工数理系:ノーベル賞やそれに類する賞を獲得している
文化系:ああ、いたの?
経済:主に米英の腰巾着
【軍事】有るんだけど無いよ
【政治】N.D.
【外交】貢いでばっか
【宗教】仏教 + 神道 + その他 ⇒ カメレオン宗教 = もはや道徳・慣習的 + お祭り
【教育】迷走中 + 日本語だけど英語にしたいらしい
【芸術】茶・華・書道、和歌、雅楽、能、歌舞伎などまだまだ存続中

 

他国を挙げていないのでテキトー比較になりますが、赤信号は政治・外交・軍事・経済学、黄色信号は文化系学問・農畜水産業・教育、それ以外に関しては優秀っぽいですね。
成長していくかどうかは行動次第ですし、そんなの他国も一緒です。それぞれ抱えている問題の種類が違うだけです。

 

実像は……問題はあるけどまだまだ大国みたいです。

 

しかしながら、大国としては歪でしょう。なぜなら、外交を考えた上で重要な「武器」が経済力のみ。「普通の国」の視点で考えたら、どうしても欲しいのが軍事力です。
なんたって恐喝にはもってこい!

しかるべき道は軍事強化しかあるまい。いざ、自衛軍を! いざ、兵器開発を!

 

だがちょっと待って欲しい。

――個人的には腹立つので『しれっと核武装するなり、それ以上の有効な武力をこそっと開発しちゃってもいいじゃん。「作っちゃったぜ、てへぺろ♪ 飾って愛でることに意味があるんだぜ♪」と言っとけ』と思ったりもしますが、個人のテキトーな感想は脇に置きまして――

 

敗戦後苦節70年、憲法9条なる面白憲法を盾に、米の核の傘のお世話になり、自衛隊という軍じゃない軍を持ち、直接武力行使以外の軍事行動や平和維持活動を行って来ました。
悪知恵働かしてずるっこもして重課金もして、実質は「軍事力の無い」状態でやって来たわけです。

なんだかズルい奴、情けない奴だが、ここで「自己否定」をするわけには参りません。加えて、余りに向かないことを目指すのも得策ではありません。

 

欧米みたくサイコパスや凶悪犯になりますか?
これまで通りずるっこも重課金もしますか?
チートと廃課金にしますか?
自衛隊は軍であることを認めて筋を通すことから始めますか?
憲法9条薬をやりますか?
他の「武器」を用意しますか?
それ以外の道を探しますか?

 

この問いは放置して、他の「武器」に着目しましょう。
さて、他の「武器」とは何ぞや?

 

それはずばり、言語になります。ええ、言語って「武器」なんです(byスターリン、毛沢東)。

これまでのもはや燦然たる外交大敗記録は、文化や認識の違いや大根役者ぶりだけでなく、言語によるものも大きいでしょう。
なぜって、日本語が他国に通じないんだもの

 

現状はインド・ヨーロッパ語族が国連をはじめ世界の場を席巻しております。
そして、インド・ヨーロッパ語族、その近縁のセム語族とは文字・文法など構造が大いに異なる日本語を話す日本人にとっては、英語、フランス語、スペイン語、ロシア語、アラビア語などの習得は骨が折れます。
更に日本で生活する限り、米国民が米国にしか興味が無く英語以外に見向きもしないのと同様、自国語で事足ります。欧米と大きく違うのは、彼等が植民地政策と共に自国語を押し付けて依存させたのに対し、現在日本語はほぼ日本でしか通用しません。

この日本語が他でも通用するようになったら、どんなに楽でしょう。

別に現在の英語の様にどこでも通用する必要はありません。諸外国の庶民が日常的に話すようになるのではなく、エリート方に幾らか話して貰うんです。
外交の場でフランス語、スペイン語、ロシア語、アラビア語同様の立ち位置になれば、「日本の良さが通じない」「こんなはずではなかった」「誤解される」といった事態が減りそうではありませんか?
道は遠いとは言え、この点に関しては左右の衝突が少なく、手を携えられる部分が大いにあると思うんです。

 

この方向性の初手としては、政治家や官僚などの「国の上位層」とされる人々の大幅な英語力と演出力の強化です。学校の英語化推進など、責任転嫁も甚だしいでしょう。
「国の上位層」の英語力の強化においては、これまでの英米の英語を手本にするに過ぎないという道を選んだ場合には、確実に英米に負けるということです。こいつ等と張り合うためには、アメリカやインドやシンガポールなどがイギリス英語を土着化させたように、〝国際語としての英語〟という土俵に英米を引き摺り込むべきです。
つまり、英米に対しては「英語を話してやってんだから、こっちの〝国際英語(もしくは日本英語)〟くらい勉強して来いや」という姿勢も持つことや、状況を作り出すことが重要であると思います。

当然ながら、英米の英語の視点(=英米の文化・思想)を無視して構わないという意味ではありません。知った上で分析して狡猾に利用する必要があります。また、これまでのように校長先生の挨拶や辞書では困ります。マジシャンさながらの演出力でもって、世界へ向けて発信して欲しいところ。
「エリート」なんですから、明治維新から空回って甘え続けた累積分を少しは取り戻すためにも、これくらいは気張って貰いましょう。

 

次手としては、英語力を強化した「エリート」方に、外交の場で日本の考えや立場を明確に発信して貰うと同時に、日本と日本語と日本の文化が憧れの対象の一つとなるよう、それとなく宣伝して貰いましょう。
諸外国の人々に対しては、「日本語を学ぶと得だ」と思わせなければ興味を持って貰えないらしいです。まあ、「ブランド価値を高めて憧れを抱かせる」ってことですね。

また「エリート」の中で、ロシア語、アラビア語、中国語、韓国・朝鮮語、東南アジアの言語に特化した人を育てることも必要でしょう。まだまだエネルギー政策の上では中東の石油類への依存度は高い状況が続くでしょうし、癖のある近隣国が遠くへ引っ越してくれるわけではありません。彼を知らねばなんとやらー。

 

こうして下準備が整ったら、日本語が外交の場の正式な言語の一つとなるよう大いに働きかけましょう。

 

最後に、現在の文化としての英米の英語の学校教育はやめて国際英語にするなり、中国と同じく自国のことを題材にした英語の教科書にした方がいいと思います。もしくは、複数の外国語の内どれか一つを選べるようにする形ですね。

この案は、日本人の宗教に対する態度や普段の物事への態度に起因します。

 

宗教を見ましても、日本は仏教+神道を経て、いつの間にか道徳や慣習のようになっていますし、クリスマスにハロウィンにヴァレンタインにと、お祭り騒ぎも満載です。
日本語に関しても、やまとことば、漢語、外来語由来日本語、外来語、ジャパングリッシュと、とっ散らかしています。流行語、それに「全然」「とても」「非常に」「さわり」などの変遷を考えても、なるようになるさと成り行き任せで終了です。

生活・文化的な流行やら議論の仕方やらを考えてみても、日本はおばちゃんの井戸端会議の様相です。対して欧米は、様々な面でディベート的と要約出来ると思うんです。

つまり、現況の路線である英語学習こと、文化としての英米の英語の学習は、多くの日本人にとっては非常に向かないことであり、苦痛であり、自身の良さを無くすことや自己喪失に繋がる可能性が高いわけです。もしくは飲み込まれて劣化英米人もどきになってしまうか。

 

『きっちり整理するのも戦略的なことも大っ嫌い、そんなのちょーメンドー、流れに任せりゃいいじゃん♪』という人に、論理的な思考、クリティカル・シンキングを習得させ、〝性格として定着させる〟ことは至難の業です。
性格、生活習慣、利き手、利き足、どれも容易に変えられませんし、利き耳、利き目、利き脳に至っては、自分で意図的に変えるのは無理かと思います。

変える努力をしてみれば実感することですが、長期に渡る苦痛以外の何物でもありません。必要性があったとしても挫折の連続です。興味と明確な意思と目標があり、且つ七転び八起きを実践出来て初めて花を咲かせ、実を収穫することが可能となります。寄り添って支援してくれる存在がいれば、その確率も上がります。
つまり、やらないで済むならそれに越したことはないんです。

 

好き勝手とっ散らかして、ガラパゴスがいいんだよ! これが日本の庶民の本音だったりしませんか?


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「「武器」を吟味する日本」のコメント一覧

  1. 1
    やまねろん  :

    ――あとがき――
    4回に渡るコラムを最後まで読んで頂き、有難うございました。

    記事を書いた二つの理由の内の一つは、視座が変われば見える風景が変わることを再確認して頂きたかったことと、人の成長であったり、人生になぞらえた視点から日本を考えてみて頂きたかったことになります。

    以前から、日本は敗戦で一度目のうつ病になり、高度成長期で躁へ転じ、バブル崩壊でうつ病と神経症の深みへ嵌ったと捉えており、その根っこは明治維新の劇的な「自己否定」と考えておりました。
    しかし、江戸~明治の歴史やら世界の服飾文化史、食物史、風呂の歴史、宗教、仕草、哲学の書籍を掻い摘んで読み進めた折に、原因は人と同じく「生まれと育ちと外環境と自己の相互的複合要因」なわけね、という所に至った次第です。

    また、悪意の塊と善意の塊、両方を混在させている者では、物事の解釈も行動規準も規範も意図も違っています。自身を変えていくにしても、相手に染まるのか、跳ね返すのか、忌避するのか、いなすのかと、相手に染まることが唯一の手段ではありません。
    誰しも不向きなことは辛くてうんざりするわけですから、もう少し向き不向きにも着目した方が、弊害がずっと少なくて済むと思うんですよ。例え不向きなことでも、ちゃんと弊害や危険性を承知した上で備えもして覚悟を持って臨むのと、場当たり的に行くのでは大いに違います。もちろん「無知ゆえに強い」場合もあるんですけど……。

    最後の〝言語は「武器」である〟という内容は、ほとんど言語学者の鈴木孝夫氏が主張されている内容になります。圧縮と脚色をしているので、表現の仕方が元と結構違っていますが。
    先月に初めてこの方の著作を読んでいたら、当該の内容があったんです。日本外交の失態にも言及されていて、3冊目を読み終えた矢先に年末の訪韓の顛末……これが今回の記事を書かずにはいられなくなった一番の理由です。

    それ以外の部分においても、表現は違えど鈴木孝夫氏と自身の主張とでかぶっている部分が結構あって笑いました。さすがに「日本はうつ病と神経症を患っている」「海外は凶悪犯や人格障害ばかり」「日本はおばちゃんの井戸端会議」とは言ってませんでしたが。

  2. 2
    まさ まさ  :

    興味深いコラムでした。面白かったです。遠慮せず、どんどんコラム寄稿していったらどうでしょう?ブルーオーシャンに違う味の化学反応が起きて面白いと思います。

  3. 3
    コテヤン@どうやら管理人 コテヤン@どうやら管理人  :

    >>やまねろんさん
    指摘されている点が大変面白く(あとブラックな表現とw)、その視点も大変に参考になりました。

    なるほど、例えば2000年台にやれトップダウンだ、やれボトムアップだ事業なんちゃら制だと、自己を失い右往左往していた企業が多くありましたが、それこそが現在の日本の姿と写るのかもしれないです。

    4つの連載を見ておりまして、ある種の思想(それがどのようなものかは、まだ分析できてません)が一貫して横たわっており、大変に面白かったです。
    人の思想に触れる、これほど面白いことはありません。
    そして思想とはおそらく俯瞰的な現実や歴史を見渡す、その観点からしか生まれないと思うのです。だからこそ面白い。

    是非ともお好きな時で結構ですのでまた投稿していただきたいなと…やまねろんさんのコラムを私自身が見てみたいなぁ…と。

  4. 4
    やまねろん  :

    >>まささん
    どうも有り難うございます。実は昔から書くのは苦手であり、超絶に遅いんですよ。喋る場合は、「口から出まかせで行っちまえー」な気分が生じてくるので、テキトーにすらすら喋ったりするんですけどね。

    また述べたいことがまとまったら、寄稿しようと思います。

  5. 5
    やまねろん  :

    >>コテヤン@どうやら管理人さん
    どうも有難うございます。また述べたいことがまとまったら、寄稿しようと思います。

    >ある種の思想
    何を感じ取られたのかは分からないですけど、今回一番述べているのは
    「自己否定は、もうやめにしましょうよ」
    ですね。
    明治維新以降の欧米礼賛、「欧米流が正しいんだ」という思い込みと、その実践が錯乱状態の原因なんですから、「欧米流」に執着するのはやめて行かないとマズイんですよ。かといって、これまで歩んで来た道を否定しては絶対にイケないので、どう折り合いを付け続けるのかが問われているんです。

    「欧米薬中毒」から、そろそろ立ち直っていかないとねぇ。情けなさに関しては、「憲法9条薬中毒」と団栗の背比べですよ、たぶん。

  6. 6
    baiannmidareame やす  :

    >好き勝手とっ散らかして、ガラパゴスがいいんだよ! これが日本の庶民の本音だったりしませんか?

    「こうしなければならない。」と言う他者から与えられた将来への恐怖を下地とする束縛を、自らの自己研鑽、自分磨きと、まるで明るい未来に向かって努力しているのだと思い込んできたのが黒船来航以来の日本人の歴史なのかも知れませんね。

    私たち日本人は自らの歴史に誇りを持ち、培われてきた常識や道徳をもっと信じた方がいいのでしょうね。

  7. 7
    やまねろん  :

    >>やすさん
    虐待された子やいじめられた人が、苦境から抜け出すために現在の自分を全否定して、新たな能力を身に着けることに全霊を注ぐ図になりますかね、黒船以降の日本って。
    仕方の無かったこととはいえ、ひたすら自己否定して来た代償は大きいんですよ。しかも、一神教と違い、他の存在を排斥しない宗教的土台も合わさっているので、より自己を見失い易いでしょうね。他と上手く共存できる性質が、ここでは悪い作用へと変わってしまっているわけです。

    しかしながら、決して明治維新以後が無駄だったわけではないので、そこは注意が必要でしょう。江戸末期と現在を比較すれば、どれだけ発展したことか。
    したがって、過去の変遷を否定すること無く、自己を取り戻して自信を付けるために、日本には「認知行動療法」が必要なのかなーと思ったり。