日本の改善に必要なこと――第29回の討論会を受けて

昨日参加した討論を受けまして、「改善には理念の大まかな一致と団結が必要である」「感情を蔑ろにしてはならない」という2点について書いてみました。早さが重要かと思い、今回は然して推敲もせずに記事を寄稿致します。

最初にフィンランドの長期的な教育改革という、国家的な改善の実例を紹介したいと思います。図書館で借りた書籍達だったため、現在手元になくてうろ覚えの内容なのですが……取り急ぎということで、大まかな流れを重要視しました。年代や詳細が違っている場合には、ご指摘を宜しくお願いします。

2点目は、〝感情にもそろそろ目を向けよう〟という内容で「ルサンチマン」にも着目して書きました。

 

――――――――――――――――――

PISAという、OECDが世界中の子供たちを対象に実施している学習到達度調査で、2003、2008、2009年において、フィンランドが優秀な成績であったことが話題となりました。
この時に、フィンランド教育やフィンランド・メソッドといったものが日本でも持て囃されましたが、通常営業の「流行り」で収束したと言えるでしょう。

さて、改善を行うというからには

  • 理念を忘れないこと
  • 現況を整理すること
  • 特性を理解すること
  • 利点と難点を押さえておくこと
  • 大まかな道筋を考えておくこと
  • 実際の改善手法を考えること

これらが必須項目かと思います。

それでは、フィンランドがどうやって教育改革を行っていったのかを見ていきましょう。

 

1960~70年頃から、教育改革と銘打って政府や役所が提案、実践を行なっていたようですが、この時のものは変遷はどうであれ、日本や英米などの教育とそんなに違うものではなかったようです。日本の学校教育の風景と変わらず、先生が生徒たちに教科書の内容を教えていくだけ、そう要約できるでしょう。

大きく流れが変わったのは、若い政治家が文部科学大臣に相当するような役職に就いた、1990年代。この時、世界から注目を集めたフィンランド教育法への転換がありました。

  • 生徒数が少数のクラス
  • 生徒達のやる気を引き出す
  • 好奇心を伸ばす
  • 自主性を伸ばす
  • 論理的思考を伸ばす

日本でも、主にこんな特徴が耳目を集めたでしょう。しかしながら、これらは表層のことに過ぎないんです。病気で言うなれば表に出てきた症状、音楽ならば主旋律のみ。
作曲形式やコード進行、楽器構成、表現したい題材は述べられておりません。

 

第一に、1990年代の教育改革にて重要視された理念があるんです。それは……

「人口が少なく産業も乏しいからこそ、子供達に良い教育を」

これは国民の間でも敷衍しており、支持を得ているものでした。

 

それから、フィンランドでは教師達の社会的地位は高いんです。給与は高くないですが、「教師は教育の専門家であり尊敬視される存在」となっています。この傾向は1990年代の教育改革前からあったようですが、改革以後はそこにお墨付きが加わった感じと言えそうでしょうか。

そのために政府が何をやったかと言えば、それは教師の育成です。

日本では、大学にて教職用の講義を選択し、教育実習を行えば、まあ教職の資格を取得出来るといった状態です。しかし、フィンランドではこの時、教師を育成する専門のコースを設置しました。
それは学部から修士までに相当し、子供の発達心理、教育法の講義にはじまり、教育実習も複数回、長期に渡って行います。

また、「教師は教育の専門家であって、事務員ではない」という考えの元、生徒達を指導する立場である教師達が行う事務作業は、減らすような制度設計を行いました。
現場の教師の重要な使命や仕事は、子供達を育成すること、即ち子供への支援や教えることであって、事務書類を教育委員会や国家機関に提出することではありません。その分、校長の手腕が問われることにもなります。この点は英米の私立学校に近い仕組みのようです。

 

更に、現場での教育方法に関しては、口喧しく国が指導することもなくなって行ったようです。なぜならば、学校の目的は「子供達の自律」「生計を立てる能力」「国内の産業を発展させる能力」を涵養するために、教師が子供達を支援することだからです。

決まり切った作法こと厳密な指導要綱を作り、マニュアル教師を育成することに力は入れず、子供達の能力を伸ばす、育てることに力点を置いています。したがって、現場の教師が様々な工夫を凝らして、子供達の興味を引き出し、学習意欲を育て、学習の方法を実践的に身に付けさせるよう、それぞれの学校が研鑽を積んでいます。

 

以上が義務教育課程に相当するものになりますが、それ以前の乳幼児教育や育児制度、義務教育以後の専門・職業分野の教育、生涯学習の制度といった教育全般の充実と改善にも力を入れております。

 

さて、ここまでを見ると良い点ばかりのように思えて来ますが、そうでもないようです。
当然ながら、大幅な教育改革で転換を行った際には、既存の教師達は混乱もしましたし、様々な努力を要しました。日本では中高年の体育教師がダンスを習いに行った事例があるように、既存の教師達は指導方法の転換が要求されたわけです。

また、国として相当の予算を教育に充てているようですし、モンスターペアレントはフィンランドにもおります。この教育制度のためか、むしろ日本よりも強烈かもしれないと思える事例もあるようです。つまり、親が子供の育成をサボるようになった側面もあるわけです。

更に、2012年でのPISAの成績においては、フィンランドの順位と点数が下がっているという結果が出ております。(日本の点数は横ばいか上昇の傾向)
ただし、フィンランドの教育の目的は、何が何でもPISAで好成績を出すことではありません

そういった現状でも教育の改善における日本の態度と大きく違う点は、教育現場においても、国家においても

「目指したい方向は大筋で間違っていない」
「問題は常に生じるものである」
「改善を積み重ねて行くことが重要だ」
「フィンランドには、この価値観とやり方が適している」

ということを押さえており、その方向性も大体一致していることでしょう。
こと教育に関しては、国全体として、手段が目的化していたり、目的を見失っていたり、目的が誤った方向性ではなさそうと言えるでしょう。

 

――――――――――――――――――

三橋氏が時々「ルサンチマンがー」という内容のブログを書かれますが、新自由主義を喧伝する詐欺師以外を仲間に取り込んで行きたいのであれば、「ルサンチマンがー」を大々的に批判するのは止めて行った方が良いでしょう。

確かに「ルサンチマン」という怨嗟が溢れ返り、狂気や自滅的な行動が散見される事態はよろしくありません。しかし、考えてもみて下さい。何故「ルサンチマン」という現象が起こるのでしょうか。

不満
鬱屈されたもの
不当な扱い
過度な不平等さ
過度な格差
存在の軽視

こういったものが堆積してしまったからこそ、「ルサンチマン」として表れているに過ぎません。噴火仕掛けているもの、もしくは噴火しているものを、無理矢理抑え付けたらどうなるでしょうか。

電子レンジで茹で卵を作ろうとしたり
シュールストレミングの缶詰を常温で保管したり
未開封の炭酸飲料やビール・シャンパンを勢いよく振ったり

 

当然、破裂するという帰結が待っております。

新自由主義の詐欺師達は、安全な場所から、多くの人々が炭酸飲料やビール・シャンパンを勢いよく振るように煽り、勿体無い様や滑稽な様を見て楽しむことを目論んでおります。ビール掛けは、やっている内は楽しいかもしれませんが、後片付けはとても大変です。流れて行ってしまった飲料も、とても勿体無いですね。

 

一方で、左の人の大好物である「平等」「平和」などは、とても理想的ではありますが、実現することは有り得ません。

しかし、仲間を集める手法や批判を展開する手法は、中々上手いモノがあります。不遇な立場の者に優しい言葉を掛け、分かり易い復讐の対象を提示し、共に罵りまくる。

残念ながら、罵倒し続けた所で事態が改善することは望めません。何故ならば、そこに改善の手法は含まれていないためです。例え改善策を提示していたとしても、それは夢物語。現実と折り合いを付け続ける気はさらさらありませんね。

 

自由は最高!? ――規制緩和という落とし穴――」で言及しました通り、ほど好い塩梅が重要なんです。それは国家の制度や政策から、感情と理屈に至るまで変わりません。

感情は自動的に発生するものですから、無いモノと見做したり、抑圧し続けたりすれば、歪みを肥大化させる一方です。どんなに理屈で丸め込み続けても、最後には噴火します。どんな形で表れるかは、噴火してみないとわかりません。

大惨事を起こして楽しみたいのでなければ、もう少し感情に寄り添うことにも目を向けて行きましょう。

男性であれば、妻や彼女の悩み相談を出来る程の腕前を持つなり、女性であれば、夫や彼氏の隠している悩みを引き出せる程に支える手腕を持つなり、とまでは申しません。

相手の気持ちに耳を傾け事情を汲む姿勢を持たないと、不満を募らせた人を宥めることも、動かすこともできません。論理や理屈のゴリ押しでは、どんなに正しくて素晴らしい発想であろうとも、棄却されてしまいます。

 

近代化以降の、西洋流「理想・建前的な理屈ゴリ押し」はもう卒業致しましょう。幕末以前の日本流に戻せとも言いません。そろそろ、日本流の上に西洋流の改良を乗せた新たな日本流を見出さないと、新自由主義を掲げる英米ユダに振り回されるだけでしょう。


このユーザーがいいねしています

  • コテヤン@どうやら管理人
  • holyfirework
  • charleyace

「日本の改善に必要なこと――第29回の討論会を受けて」のコメント一覧

  1. 1
    holyfirework 灯火  :

    同感です。
    不満やルサンチマンをいつまでも放置したり、煽ったりした結果どうなるか。
    それは日本の歴史に数多くの先例として記録されています。
    壬申の乱、大化の改新、建武の新政、明治維新。全てルサンチマンが原動力となって起こり、成功したものです。ルサンチマンの力というものは、それほど大きいのです。
    「二度あることは、三度ある」と言いますが、このままいつまでも人々の不平不満を放置し、ルサンチマンを募らせていくと、歴史の示す通り、必ず、鉄槌を喰らわされ、人々に裁かれることになるでしょう。

  2. 2
    やまねろん  :

    >>灯火さん
    >壬申の乱、大化の改新、建武の新政、明治維新。全てルサンチマンが原動力となって起こり、成功したもの

    そうなんですよねー。怒りや怨みって、凄い馬力が持続的に発揮されるので、侮ってはならないんですが……恵まれた立場にいると、自身が痛手を被らない限り、理解しようとしないんでしょうかねぇ。

    >このままいつまでも人々の不平不満を放置し、ルサンチマンを募らせていくと、歴史の示す通り、必ず、鉄槌を喰らわされ、人々に裁かれる

    それはそれで相当面倒な展開が待ち受けているので、本当は良い手とは思えないんです。
    しかし、「貧乏になる自由がある」とか言って煽るような人もいるので、最近は、そういった人々は「罵倒され続ける自由」や「鉄槌を食らわせられる自由」を選びたい方々なのだろう、そう見做す様になってきています。

  3. 3
    コテヤン@どうやら管理人 コテヤン@どうやら管理人  :

    非常に興味深く読ませていただきました。

    大変に面白い視点で、なるほど確かに「感情」とは重要な要素だなぁと。
    例えば新自由主義者の厄介な点は学問的には「合理的な個人」を前提としてるくせに、煽りや人々の感情を動かすことが上手い点だなぁと。

    とかいろいろ考えていると脳みそが…もう少しで破裂しそうですw

  4. 4
    baiannmidareame やす  :

    > 「フィンランドには、この価値観とやり方が適している」

    「日本には、この価値観とやり方が適している」日本の政治家も官僚も国民も、そういう自信を持ちたいですね。

    ルサンチマンですか・・・私で言えば以前、公務員給与、残業代についての疑義をコメントしたらルサンチマンと決めつけられたように思います。ただ、言わせてもらえれば、そうやってルサンチマンと決めつけられる方は実のところ自分の行動をルサンチマンの故とは考えていないのです。どちらかと言えば彼ら優遇されている人達を引きずりおろすと言う考えよりも、それらを糺すことで表れる効果に期待しているという考えの方が大きいと、自分では思っているのです。

    だからこそ、仰られるように、それらを抑えつければ、正しいと思っているからこそ破裂するのも厭わないという事になるのではないでしょうか。

  5. 5
    やまねろん  :

    >>コテヤン@どうやら管理人さん
    新自由主義を標榜している人々の元祖が、ピューリタンやユダである点を考えれば……
    「俺達が正義だ!」
    「俺達の自由を妨げるな!」
    が本音ですよね。自己利益追求と威張り散らしたい、憂さ晴らしがしたいという〝我が儘坊や〟なだけなんで、理なんてどーだっていいんでしょーね。理屈や理由は後でこじつけてでも探して来ればイイんです!
    したがって、恐らく真面目に考えない方がいいかもしれませんよ。彼らの言う「崇高な思想」とやらは最初から無いですもん。綺麗で崇高な言葉のメッキは得意なので、少し悪い表現に言い換えてあげればいいんじゃないでしょうか。

  6. 6
    やまねろん  :

    >>やすさん
    >「日本には、この価値観とやり方が適している」
    少なくとも明治維新を見直す気が無い限り、無理だと思います。あれの弊害が、現在の苦境の主たる根になっているので。敗戦後のことは、明治維新の弊害の上に乗っかっているモノになるので、敗戦後のことだけを見直した所で、またヘタれるオチが付いて来ますよ。

    >それらを糺すことで表れる効果に期待しているという考えの方が大きいと、自分では思っているのです。
    相対的に自尊心を守るための行為なんでしょうが、実際にはそうなっていないのが……何とも切ない。そこら辺が浅はかであると同時に、当事者になると視野が狭くなってしまうという、人の性ってやつでしょうか。

    ただ、私はもう少し複合的なものと見ています。不当な扱いへの不満、不公平への不満、怒り、怨恨、鬱憤晴らしの衝動は、当然誰しも抱くものです。私はこの感情を無くしてはならないと考えています。
    そこに、実態や事実をきちんと把握する姿勢、折り合いを付ける姿勢、上手く調和を図るための手法・技術に対する興味や経験・能力、これらの配合が関係して、自爆的な行為、憂さ晴らしをして結果的に自身が損する行為から、上手く是正を図っていく行為に至るまでの枝分かれが出来るのかなと思っています。

  7. 7
    やまねろん  :

    >>やすさん
    付け加えておきますと、文だけを見ると、さも私が〝大人〟な感じになっていますが、結構自爆的な行為を選びたい衝動が生じる性質なので、気分や衝動だけで言うなれば、ここの方々の中では相当過激な部類だと思いますよ。ヘソが1080度曲がっているんです、たぶん。

  8. 8
    baiannmidareame やす  :

    >>やまねろんさん

    なるほど。

    「太平の眠りを覚ます上喜撰たった四杯で夜も眠れず」ってやつですか。

    まあ、無理もないですよね、あの当時の西欧列強の蛮勇たるや、危機感を持たない方がどうかしていますから。ただ、強者の言う事が「強いがゆえ」に全て正しいと思ってしまうのが、近代合理主義的価値観と結びついた「へたれ」的弱さなのでしょうね。

    >相対的に自尊心を守るための行為なんでしょうが、実際にはそうなっていないのが……何とも切ない。

    う~ん、なかなかに手厳しいですね。確かに仰られる通り、そのように考えるに至ったのは、自分より優遇されている者への不満も少なからず存在するのでしょう。だからこそ、それを是正(自分ではそれを行う事は正義だと感じる)する事によって、社会的に益する考えに興味を惹きつけられたのかも知れませんね。

    >上手く是正を図っていく行為

    そうありたいですね。

    >不当な扱いへの不満、不公平への不満、怒り、怨恨、鬱憤晴らしの衝動は、当然誰しも抱くものです。私はこの感情を無くしてはならないと考えています。

    ルサンチマンがあり、社会の対する不満などを感じる事がなければ、多くの人は政治的な活動を起こそうなどとは思わないでしょうから・・・私も同意いたします(笑)

  9. 9
    やまねろん  :

    >>やすさん
    >う~ん、なかなかに手厳しいですね。(略) 自分より優遇されている者への不満も少なからず存在するのでしょう。
    返信を読んで気が付きましたが、仰られていることの意味を私が少し取り違えていた様子なのと、やすさんと着目している点が少し違っていたようですね。

    ルサンチマンと決めつけられてしまう側の人々の実態には、不満や怨恨や怒りよりも、正義感であったり、倫理観・社会観の側面から、糺した方が良いという信念で動かれる立派な方々がいるという点は、誠に仰る通りです。きっかけは不満や怒りであったとしても、きちんと考えた上で糺すことに意義を見出している方々がいる点も、その通りだと思います。
    そして、やすさんの視点は、「最後通牒ゲーム」において、不当な扱いである相手の提示を突っ撥ねて、互いに益を得られない選択をするという、社会的な立場や自尊心の保護的な側面に着目されたコメントだと分析しているんです。

    一方で私が着目していた点は、もっと人間的な実態や実情の方なんです。人間、そんなにいつも立派でいられないし、自身のことは、本人が思っているよりもほとんど分かっていないのが実態なんですよね。空気みたいなものなので、意識する方が変わっているのであって、気にしなければならない事情がなければ、気にしない方が生き易いし、意識する必要なんて然してないんです。

    そして問題が生じた際には、意識する必要のなかった人・してこなかった人というのは、思いと言葉と行動が一致しない、何でそんな行動を取ってしまうのか分からない、手段が目的化する、そういった確率が高くなると思うんですよ。

    今回の論点だと、本人の自覚では「社会正義」的なものが言動の源であったとしても、実態は隠している、もしくは抑圧している不満や怒り、恨み、憂さ晴らしが主たる言動の源である場合が往々にして観察されるんです。
    そして、実態と本人の自覚の乖離が大きい程、極端な言動となってやいないか、手段が目的化してやいないか、結果として問題は解決する所か、悪化して自らの首を締める事態になってやいないか、そう感じるんです。(個人的には「現首相がこれの典型例なんじゃない?」って思います)

    そして、「なかなかに手厳しいですね」という点への返答になるのですが、分析は、涙を飲んででも手厳しい姿勢で行う必要があると考えております。手心を加え出すと、やがて信者が教祖を擁護するのと変わらなくなってしまいます。一方で、実際に行動を起こす場面や人に動いて貰う際などは、その手厳しさは猛毒となる可能性が大いにあるんです。

    従って、分析を行う際と、実際に自身が行動を起こす、人に指摘をする、人に動いて貰うといった改善に着手する際では、姿勢を変える必要があります。感情を捨てることも無いモノとすることも出来ませんから、手厳しい姿勢で改善に臨むと「正しいかろうとも、それは受け入れられない」というジレンマに潰されます。
    拗れた感情は、ある程度解きほぐしてやらずに放置し続けると、自爆的な行動を選択するんですよ。

  10. 10
    baiannmidareame やす  :

    >>やまねろんさん

    >きっかけは不満や怒りであったとしても、きちんと考えた上で糺すことに意義を見出している方々がいる点も、その通りだと思います。

    ありがとうございます。

    「最後通牒ゲーム」ですか、勉強になりました。

    ただ、私の考えとしては、藤井聡さんの「なぜ正直者は得をするのか」で紹介された「囚人のジレンマ」の方がしっくり来るんですよね。

    これはある両者がお互いに「協力」するか「裏切るか」のいずえかを選ばなければならないとして、お互いが協力すれば双方に10、お互いが裏切れば双方に5、一方だけが裏切れば裏切った方に15与えられると言うもので、世界中から数学者やゲーム理論家が参加し、どうすれば一番得をするかシュミレーションしたらしいのですが、自分だけが得をしようとする考え方は、ことごとく得をすることが出来なかったというものです。

    人間社会とくに国家を形成する集団というものは、この論理に通ずるところがあって、ある特定の職種なり一部の者達だけが得をする社会構造は、結局その国家そのものを蝕むと思うのです。

    ただ、これはその集団の単位、つまり国家よりも地球全体というように、その対象が変わればまったく真逆の政策を推進することになりますから、グローバリストには通用しない考え方かも知れません。

    話がおかしくなりました。すみません。

    >そして、実態と本人の自覚の乖離が大きい程、極端な言動となってやいないか、手段が目的化してやいないか、結果として問題は解決する所か、悪化して自らの首を締める事態になってやいないか、そう感じるんです。

    これは仰る通りだと思います。前々からやまねろんさんが仰られている通り

    >実態や事実をきちんと把握する姿勢、折り合いを付ける姿勢、上手く調和を図るための手法・技術に対する興味や経験・能力、これらの配合が関係して、

    >上手く是正を図っていく

    そういったお互いの意志や思いをくみ取るような議論を重ねる事が大事なのではないかな~と思います。