右も左も依存症

今回は2話構成です。1話目が右と左、2話目が保守についての内容です。長いので3話構成にしようか迷いましたが、2話で行きます。
1話目は厳しい言葉を並べてみましたが、2話目も読んでから、考えてみて頂きたい内容にしました。2話目の投稿は翌日に行います。

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著名な元野球選手が覚せい剤所持で逮捕されました。麻薬の類に関して言えば、やはり手を出さないのが一番ですね。神経細胞数が減ってしまうこと、神経伝達物質の分泌やその受容体の感受性が変わってしまうことの危険性は、依存性の高さ故に、ストレス由来や環境由来よりも壮絶なのでしょう。
何事も最初が肝心です。ある年齢までの期間、人に育てられなかった子供は、社会性を身に着けることが出来なくなってしまう実例もあります。

最初が肝心と言えば、ノートPCを買い替えたのですが、最初のセットアップでとんでもない失敗をやらかしてしまいました。型落ち狙いで、相対的に値段と性能と機能に惹かれ、2015夏モデルのwindows8.1の方を購入したのですが、セットアップ時に「推奨」と誘惑してくるwindows10へのアップグレードの罠にまんまと引っ掛かってしまったのです。

その罠とは、様々なアプリやプログラム、データが消えてしまうことでした。

入っていたアプリやプログラムが複数消えてしまったため、「やり直すか」と付属の説明書通りに再セットアップを行ったところ、完全に動かなくなりました。サポートセンターによると、説明書に記載されているやり方はwindows8.1用であったため、メーカーのHPの注意事項を見て準備を行う前にwindows10へ上げ、更に再セットアップを行うと、最早手の打ちようがなくなってしまうとのことでした。補償のおかげで追い打ちの出費は回避できましたが、情報って大事ですね。

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日本において左派・右派の定義は欧州とも米国とも少し違ってはおりますが、ここは日本ですので、日本の左派・右派について考察していきましょう。木を見て森を見ずに陥らぬよう、細部まで深く考察は致しません。

 

まずは左ですが、こちらの系譜を辿ると行きつくのは、社会主義と共産主義でしょう。1917年3月にロシアで革命が起こり、共産政権が誕生したことで世界に広まって行ったと言えそうですが、左の方々にとっての教導者は、恐らくユダヤ人であるカール・マルクスと、ドイツ人のフリードリヒ・エンゲルスでしょう。

「今日までのあらゆる社会の歴史は階級闘争の歴史である」
「万国の労働者、団結せよ!」
「いっさいの私有財産をなくせ」

こういった言葉が有名ですね。

 

方向性としては、資本家による搾取のない平等な社会をめざすということでした。現実としては、ソビエト連邦のような「資本家は皆殺し」という過激な様相を呈していたのでしょう。アメリカの猛反発が、その過激さとアメリカの共産主義に対する恐怖心を物語っていたと言えそうです。

過激化した理由としては、社会主義や共産主義の発端に起因していると思われます。

フランス革命、産業革命を経た当時の欧州での資本主義の実情、すなわちその弊害による様々な面での格差の拡大に衝撃を受け、より平等で公正な社会を目指すことを決意したわけです。マルクスにしろエンゲルスにしろ、当時の欧州の実態に衝撃を受けております。彼等を含め、「平等」「公正」「友愛」といった美しい響きの思想の源は、幻滅、落胆、怒り、恨みといった反動であったわけです。

そして、ファンとアンチは表裏一体であり、どちらも強い情動に突き動かされております。猛烈な感情が滾っているが故に、視野が狭くなりがちであり、対象に執着しがちであるわけです。視野狭窄となると陥りやすいのは――手段の目的化と自己正当化です。

唯物主義な側面が強く、管理により「平等」「公正」を達成しようとしていた帰結は、ソビエト連邦の崩壊によりその実態が露呈しました。即ち恐怖政治や独裁政治、管理・監視社会であったわけです。

 

ここで出発点に立ち戻ってみましょう。
なぜ、「平等」「公正」「友愛」を目指したのでしょうか。

 

当時の欧州では、労働者層が幸福な人生を歩めるような社会制度や環境ではなかったから、それを是正したいと決意したわけでしょう。

本当に求めていたのは、幸福や豊かな人生であって、厳密な平等や公正さや博愛さではありませんね。つまり、本来「平等」や「公正」や「友愛」はそれぞれ一つの手段であって、最終的な目標ではなかったんです。

 

皮肉と表現すべきでしょう。マルクスと違い、エンゲルスは経営者でもあり、片足は資本主義に浸かっていた家系です。

「ひとつのものにとっての善は、他のものにとって悪である。ある階級の解放は、他の階級にとって新しい圧迫となる」

そう述べていたのなればこそ、共産主義や社会主義の弊害やジレンマに気付くべきでした。厳密な「平等」や「公正」は成し得ません。まずは生物学的な「平等」や「公正」から追及しないと無理ですね。

このように非現実的な夢想を追い求め、且つアンチ資本主義、アンチ自由主義の時点で、資本主義や自由主義に依存する帰結は見えているのですが、この様相は戦後左翼も見事に踏襲しておりますね。

即ち、アンチ戦争、アンチ武力、アンチ核、アンチ格差、アンチ差別

表面では「平和」「人権」「平等」「環境にやさしい」といったことを掲げてはいるものの、実態は戦争反対、核反対、格差反対、差別反対、原発反対、開発反対、基地反対。左寄りの政党や政治家を見ても、反対のための反対に徹しているような振る舞いです。ファンとアンチとその対象者の関係でもあり、サドとマゾの関係でもあるわけですから、依存する対象が消失してしまうことは、なんとしても回避したいことでしょう。

 

長ったらしく左の人について論じて来ましたが、平たく言えばこうなるでしょう。

欲望の塊であることを偽って、様々な煩悩は捨て去ったと自称するお説教大好きな破戒僧

 

 

続いては右の人を考えてみましょう。

日本では、革新的な右こと新自由主義信望者系列と、国家的っぽい右こと嫌中・嫌韓がいるようですね。共通しているのは「安倍政権支持」と、口先では「自衛的な武力が必要である」と主張している点でしょうか。それでは、まずは国家的っぽい右こと嫌中・嫌韓から見ていきましょう。

 

考えるまでも無く、字面の通り中国や韓国の横暴ぶりや反日ぶり、在日ことザイニチの実態に辟易し、怒りを滾らせております。事あるごとに、「断交したい」「チョン、チャンはこれだから」「ザイニチはお帰り頂こう」という言葉が出てきます。

こういった言動の源は、左と同じく、やはり義憤怒りや恨み、幻滅、落胆といった反動です。嫌韓・反韓、嫌中・反中であれば何でも良いようで、安倍政権の固定的なファンの一部はこういった層でしょう。

 

さて、もう一度なぜ嫌韓・嫌中となったのか考えましょう。

「韓国や中国の反日ぶりに振り回されるのも、横暴な振る舞いにも我慢ならないから是正したい」

不当な事柄を是正したいのは素晴らしいことですが、是正してどうしたいのでしょうか。

「断交したい」
「普通の国になりたい」

普通の国とはどんな国でしょうか。

「中韓の横暴に対し、国際的に標準と言われる毅然とした対応を取れる国」

どこをどう巡っても、中韓の存在がついて回りそうですね。

「経済政策は評価出来ないけれど、中韓への対応から安倍政権支持だ」

そんな言葉を考えると、国内の経済状況や政治状況、制度の問題が悪化していても、中韓に対する対応が大事なのですから、流石に問題があるでしょう。

ところで、尖閣諸島や世界遺産登録や慰安婦に関する日韓合意など、海外に対する安倍政権の応対は毅然としていませんね。国内に対する説明は毅然としているような演出をしていますけれども。

 

嫌韓・嫌中の人を平たく言えば、次のようになるでしょうか。

「俺は糖尿病じゃない、ぽっちゃりだ」「タバコや酒が存在するからイケナイんだ!」と言いながら、酒やタバコを浴びるように摂取し続ける糖尿病者

 

 

最後に革新的な右こと、新自由主義信望者を考えてみましょう。

新自由主義の教祖様は、なんと言ってもミルトン・フリードマンでしょう。「自由」と「規制緩和」と「小さな政府」が教義のユダヤ人ですね。レッセフェールこと「自由放任=無法地帯は素晴らしい」と主張されていました。公共善も多少認めてはいたらしいですが、政府の役割は最小限にと主張したり、大麻に限らず麻薬の合法化も主張されていたりと、中々過激な考えをお持ちだったようです。生い立ちも考えると、反動的な情動が原点でしょうか。

それにしても、流石先住民に恵んで貰った恩がありながら虐殺していった歴史、鳥をどれだけ沢山撃ち落とせるかという遊びに熱狂した過去を持つ文化の国は、発想が違いますね。飛び出す主張も身勝手極まりなさそうです。

 

さて、原点に立ち返ってみましょう。

なぜ、「自由」や「規制緩和」「小さな政府」を訴えるのでしょうか。

もともと自由主義というのは欧州で生まれたものですが、欧州と言えば、ガチガチの階級社会です。それに対して、アメリカは移民の国ですね。

アメリカという国は、イギリスと宗教的にソリが合わなくなった、イギリスの階級的な社会制度が嫌だ、イギリスへ税金を払いたくない、成り上がりたい、そういった気持ちが出発点ですね。つまり、「自由」も「規制緩和」も「小さな政府」も全て手段の一つに過ぎなかったわけです。この場合、方便と表現した方がよいでしょうか。

なにせ、その手段を行使する目的は……

「俺の自由を妨げるな」
「俺が儲けるのを邪魔するな」
「俺の取り分は俺のモノ、お前の取り分は俺が奪ってやる」
「俺よりも弱いやつから、巻き上げに行く」

 

要は「自由」「規制緩和」「小さな政府」は建前こと嘘であり、欲望むき出しの彼らは身勝手な存在に過ぎません。それはリーマンショック時にしっかりと露呈しました。当時の金融関連の重役の言動や振る舞いが物語っておりますね。

「誰か我々の底なしの強欲を止めてくれ」

こんなことを宣っておられましたね。政府から莫大な支援を受けながら、我々は優秀な存在だからとがっぽり退職金を頂いて、別の企業の重役へと転身し、責任は微塵も取らない身勝手振り。

レーガン政権の頃から邪魔をするなと暴れだし、金融関連の法(ボルカー・ルール)の規制緩和を強く訴えて、徐々に政府に撤廃させてバブルを謳歌し、破裂したら政府は我々を支援すべきだと強く訴え、尻拭いは他人にさせた上に、更にバブルを演出した料金だと退職金をガッポリと掻っ攫って行く傍若無人さ。

他人がより優遇されるのも、自身が邪魔されることも我慢がならないし許さないくせに、自身が失敗した時には誰よりも手厚い補償と支援を要求する厚かましさ――優秀さや成熟さからは程遠い振る舞いですね

 

日本でも、「貧乏になる自由がある」「既得権益を打破すべき」と声高らかに主張し、「自由」と「規制緩和」を錦の御旗として大鉈を振るいつつ、迎賓館で接待を行い、郵政民営化や人材派遣会社に対する利益誘導や癒着を行う地方の靴屋生まれの人が筆頭になっているように、言葉と行動が全く一致しておりません。

嘘が大好きで、息をするように嘘を吐くのが通常営業なのかもしれません。

 

こちらも平たく言えばこうなるでしょうか。

称賛され支援され手厚く保障されるべき優秀な存在だ、と喧しく主張する拝金主義の詐欺師

 

左は公共性や平等に着目する一方で、感情や欲求は無視した唯物論者であり

右は、片や反動から反対と憂さ晴らしがしたいだけの中韓中毒者であり、

他方は、自由と強欲さを追求する一方で、自身の平等や公共性だけは保障して貰いたい身勝手な唯物論者。

 

いずれも欲するものと差し出すものとが全く釣り合っておらず、現実と折り合いを付ける気もなく、依存症を拗らせているに過ぎないようですね。

夢想を追い求めて逃避し続ける依存症からは、そろそろ脱して行きませんか?


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