保守は甘え!?

寄稿コラム『右も左も依存症』の続きです。右と左について考えてみたならば、保守についても考えなくてはいけないでしょう。

――――――――――――――――――

 

まずは保守という言葉の意味を調べてみましょう。ネット辞書と家にあった辞書を引いてみましたが、内容はほぼ同じでした。

  1. :正常な状態を保つこと。「休業時も機械を―する」「線路の―点検」
  2. :旧来の風習・伝統・考え方などを重んじて守っていこうとすること。また、その考えから急激な改革に反対する立場。「―派」 ⇔ 革新

一つ目の意味で、「国家を保守する」と用いるならば、保守という姿勢は素晴らしい政治姿勢となりそうな予感がしますね。しかしながら、保守主義や保守派という用いられ方をする場合、ほぼ間違いなく二つ目の意味を指しているでしょう。加えて、「グローバル!」「グローバルスタンダード!」の掛け声が勇ましくなり始めた2000年頃からは、「保守=既得権益」「保守=旧態依然」のイメージで使用している人もいるかもしれません。

片や、中野剛志氏や佐藤建志氏だったかと記憶しておりますが、「保守とは、石橋を叩いて渡る慎重な姿勢である」といった趣旨のことも述べられておりました。(流石に橋を全て叩き割っちゃイカンと思います)

 

新薬が好い例となりますが、新しいモノが常に素晴らしいとは限りません。新薬は当然ながら、人に投与した実例が少なく、どんな副作用があるか未知数な側面が大いにあるわけです。
開発に際しては無論、動物実験、治験など正式な手続きを経て認可されることになりますが、実験動物に比して、人では個人差が大きく副作用も多岐に渡り、どういうメカニズムで薬が効いているのかは分からない物もあります。

「投与してみたら、すんごく効いちゃった」
「(細かい機序は)よく分かんないけど、すごい効くんだよね」

こんな実例はまだまだあるんですね。新たな薬の開発が大事な一方で、やはり実証例が沢山ある既存のちゃんとした薬は、安全性が高いというわけです。

外野でいる内は、新薬の実験や開発の方が何よりも大事だと言う方もいることでしょうが、ご安心下さい。御自身の身に降りかかる際には、華麗に心を翻して下さることでしょう。危険性や不安要素の多い人体実験の被験者に是非ともなりたい方は、やはり少数です。

 

それまでの実績や経験を重視する姿勢というのは、堅実性・安定性という側面から考えるならば、非常に大事なことになります。

企業経営で考えてみましても、大手や中堅が、安定的な利益を得られる優良事業を完全に投げて、丸ごと新規産業のみへ切り替える戦略を取ることはないでしょう。そういった大冒険や大博打を打つのは、比較的身軽で成長途上であるベンチャーや中小企業ですね。

 

さあ、規模の話が出て来た所で、国家と保守という点に話を戻しましょう。

国というのは、規模で言えば企業の比ではありません。取り分け日本のように人口が1億2千万(世界10位)を超えており、GDPも約4.6兆ドル(2014,世界3位)、石油資源や金属類といった資源には現在恵まれていない状況ではあるものの、様々な分野の産業が発達した有数の先進国です。

要は世界有数の大国ということです。

ドイツでも人口約8千万、GDPは約3.9兆ドル(2014,世界4位)ですから、単純に規模の話だけで考えても、日本は米国、中国に次ぐ大国中の大国です。

当たり前ですが、生き残りを掛けた上でも、保守という点でも、日本という先進国かつ大国に有効な戦略や手段は、中小国、途上国とは違います。更に伝統や文化、風習、価値観が、日本と同一である国はありませんね。この点だけを以っても、他国をそのまま真似て上手く行く保証はございませんし、保守できる可能性も低そうです。

 

それでは、日本が保守すべき伝統や文化、風習、価値観とは何なのでしょうか。

古墳以前、飛鳥、奈良、平安、鎌倉、室町、戦国、安土桃山、江戸、明治、大正、昭和、平成

さあ、どれでしょう?
何れかの一つでしょうか?
単純に全部でしょうか?
いくつかを抜粋するんでしょうか?
変遷と成長を加味した上での全てでしょうか?

 

そういえば、保守層と自称される方々が保守したいモノの時代はどの辺りなんでしょうか。

人というのは大方、自身の主観で物事を考えてしまいますから、昭和初期から現在までの内のどこかという身近な時代の可能性がありますが、それを保守と呼んで良いのかは謎ですね。

昭和以降と言えば、第二次大戦、左右の衝突、朝鮮戦争特需、高度経済成長期、バブルとバブル崩壊、新自由主義の台頭、失われた20年なんて経験がありましたね。

資本主義という軽めの薬物に始まり、バブルという強烈な薬物でハイな経験もしました。バブル崩壊で離脱症状も体験しましたね。国家規模ではありませんでしたが、一部の層が共産主義や社会主義という栄養失調で幻覚を見たり、お説教大好き破戒僧になったりもして楽しみました。

 

ここで、左右それぞれの思想の発端の情動を思い出して下さい。
どれもこれも、何かに対する猛烈な反動でしたね。

反動と言えば、ダイエットならばリバウンド、薬物やアルコール依存ならば離脱症状ですね。それぞれの思想に傾倒して極端な程に依存度が高いと考えた場合、反動で単純に依存対象を絶ったら非常に危険です。危険な依存対象ならば直ぐにでも絶ちたい所ですが、現実はそう簡単ではありません。依存症から立ち直るのは一筋縄では行かず、薬物ともなれば、依存性の高さ故にその難度は跳ね上がります。

なぜ、依存症から立ち直るのは難しいのでしょうか。

 

一つは、文字通り依存性が問題ですね。

 

あの快感よ、もう一度(何度でも!)

やめたくても……

やめられない、止まらない、やめたくない~♪

 

 

ということで、一度味わってしまったら、もう知らなかった頃には戻れないんです。配偶者や恋人が不倫していることを知ってしまったら、知らなかったあの頃には二度と戻れはしないように。

配偶者や恋人の顔を見る度に、裏切られた不信感や怒り、言動に対する疑念がもたげることでしょう。そういった場合、信頼関係を回復するのは至難の業ですね。

 

それからこれが大事な点なのですが、依存することで、何かから自分の身を守ってもいたんです。往々にして〝選ばざるを得なかった対処療法である〟のが、真実の片翼でもあります。

対処療法と言うからには、何かに対する適応や順応であったり、逃避であったり、転化ということです。依存対象に手を伸ばすにも、どっぷり依存するにも、過去に理由がきちんとあるんです。

そして、この理由というのは大抵、忘れていることや覚えていないこと、気にも留めていなかったこと、思い出したくないこと、見向きもしたくないことの堆積です。(勿論、身体的な損傷などが理由である場合もあります)

したがって、この拗れに拗れた理由を解きほぐすのは大変難しく、手間暇を要するわけです。

 

それではここで、保守という意味に立ち戻りましょう。イノベーションにとってコラボは大事ですので、①と②の意味をくっ付けてしまいます。

旧来の風習・伝統・考え方などを重んじて守っていこうとしつつ、正常な状態を保つこと

 

さあ、「保守」の難度が跳ね上がりましたね。

伝統や文化や風習を重んじるだけではダメになりましたし、正常な状態を保つだけでもダメになりました。これで「保守」を自称できる人も極端に減っちゃいました。しかし、一番求めていた形の方向性ではありませんか?

衰退するのも嫌だけど、自分じゃなくなるのも嫌な人にはぴったりです。

 

 

ところで、依存症って、正常ですか?

依存対象は何も、薬物や酒、タバコだけではありません。

殺傷行為、自傷行為、強姦、窃盗、放火、詐欺、金、嘘、仕事、博打、買い物、性行為、スポーツ、パソコン、ゲーム、スマートフォン、食事、他人……

何だって依存対象になり得ます。完全に絶ったら、生きていけないモノも含まれていますね。そういったモノが依存対象である場合、必ず拗れに拗れた理由を解きほぐしつつ、少しずつ依存から抜け出して行く必要があります。

 

さて、国家として存在し続けるためには、食糧と経済と産業とエネルギーいう要素は絶対に外せません。生活して行けなくなりますので。そして、日本は――

資本主義の依存症も
共産主義の依存症も
社会主義の依存症も体験し
近年に新自由主義にも手を出し、最近依存症へと陥ってしまいました。
加えて英語依存症にも足を踏み入れました。
食糧外国依存症も悪化させようとしています。
エネルギーの対外依存状態も好きみたいです。
欧米依存症は年々重症化しています。
近年は嫌中・嫌韓依存症にもなっていそうです。

「保守」するからには、正常な状態へと戻さなくてはなりません。しかし、新自由主義の重度依存症者かつ胴元である米国や国際資本やグローバル企業などの上位1%が、多種多様な薬物を仰山ばら撒き、恫喝と〝押し薬〟をしてきます。

さあ、どうして行きましょうか。

 

ところで、正常な状態ってどういう状態でしたっけ?

日本を「保守」するにしても、具体的に何を「保守」するんでしょう?

そういえば……信用の向上を考えた場合、不祥事など何も無い状態で信用を向上させて行くのと、不祥事で信用を失墜させた後に信用の回復を図って行くのでは、信用向上の戦略も手法も同じではありません。


このユーザーがいいねしています

  • コテヤン@どうやら管理人
  • charleyace
  • まさ

「保守は甘え!?」のコメント一覧

  1. 1
    やまねろん  :

    ―――あとがき―――
    少々過激な内容でしたが、お読み頂きまして有難うございます。

    本記事は、興味本位から手に取った、橋の点検・補修・維持に関する書籍を読んだ際に固まった内容です。

    橋を修繕しようにも、竣工年代によって技術基準が違うこと、後になって問題が発覚すること、目視点検がし辛いこと、竣工年が不明であったり、資料が正確でないなど、様々な問題があるそうです。修繕をしたら、むしろ損傷を誘発してしまった事例もあったりと、やはり新規建設とは違う難しさがあることが良く分かる本でした。

    『補修や補強は、新設とはアプローチが異なる』『(点検・維持管理、補修・補強に関して)自治体がよりどころにできる基準や資料すら不足している』

    こんな記述がありましたが、まさに国家に対する保守という姿勢は、点検・維持管理、補修・補強という視点が大事だろうと思った次第です。

    また、「Aという手法が失敗したから、Aの反対の手法が正しい」という考え方を見聞きしますので、それに警鐘を鳴らすという意味で、依存症を題材にしました。
    「共産主義が間違っていたから、資本主義や新自由主義が正しいんだ!」「新自由主義は間違っているから、社会主義だ!」という安易な考え方はマズイでしょう。

    ヘンドリック・スミスの書籍で、「アメリカの政治がオカしくなったのは、左右の主張が過激化し、両極端にどんどん傾いて行っているからだ」という趣旨の記述がありました。
    有権者と議員の過激化により、左右の議員達が反対勢力の議員の意見を聞いたり、その主張を取り入れたり、折衝を図ったりすることが減っているそうです。

    私もこの考え方に賛同する立場で、反対から反対へ行くのは止めた方が良いと思うんです。そういう観点から、依存症と離脱症状というものを引き合いに出した内容にしました。

  2. 2
    コテヤン@どうやら管理人 コテヤン@どうやら管理人  :

    大変に読み応えがありました。
    「正常な状態とは何か?」
    この問が一番堪えました。なるほどと思いつつも。

    自分なりに答えるならば「国家が国民の生命、財産、領土を守る基本」でしょうか。
    安全保障ですね。
    世の中のニュースを見てたりしますと、議論が高度化(本質からの解離とも言う)しすぎて、基本を見失っているような気がします。

  3. 3
    やまねろん  :

    >>コテヤン@どうやら管理人さん
    基本に立ち返ることと、これまでとは違う観点が存在することへの気付き、それぞれの一助となれば幸いです。

    >議論が高度化(本質からの解離とも言う)しすぎて、基本を見失っているような気が
    哲学、戦争、政治やらに関する書籍を読んでいると、難しい言葉をこねくり回して、さも高度な議論や思想を装っていますけれど、骨格は無論のこと、肉付けも子供の頃から抱く欲求とそんなに変わっていないと思うんですよ。

    興味あることをやりたい、いっぱい欲しい、わがままもしたい、嬉しいや楽しいのがいい、褒められたい、認められたい、役に立ちたい、自分でやってみたい

    芸術に満点がないのと同じように、未成熟さや不完全さとしっかり向き合えない内は、駄作で終わるのかもしれません。
    未成熟さや不完全さがあるから退廃すると考えるか、未成熟さや不完全さがあるからこそ社会や人生に彩が出ると考えるか……。どちらも正しいですが、前者を受けて後者を花開かせることを、私は推したいです。