グローバリズムと国家主権の対立

本日は久しぶりにオリジナル記事の寄稿です。
だいぶ供給能力が上がってきたようで、少しずつ最近は余裕も出てきました。ほんの僅かですがw

本日はグローバリズムと国家主権について書いていきたいと思います。
グローバリズムの定義とは何か?というと一般的に言われているのは国境を超えてヒト・モノ・カネが自由に動く世界です。
それを実現するためにも「小さな政府」というわけですね。

一見するとこの論理は「自由」という甘い言葉で彩られておりますので、中々に魅力的なのですが甘い言葉ほど恐ろしい物はありません。
詐欺師が貴方に「厳しい言葉」をかけますか?ということです。
さてヒト・モノ・カネが自由に国境を超えるとはどういう意味なのか?

一般的な国民にとっては生まれた国で生きていく人が大半ですので、あまり意味をなしません。
それでは誰にとって意味があるのか?というと世界を股にかけるグローバル企業や投資家たちにとって有利な制度というのがグローバリズムということになろうかと思います。
そして彼らに対する規制を外す、という意味において小さな政府というのは語られます。

つまりその国特有の習慣や習俗、慣習、あるいは文化によってかけられている規制は、グローバル企業にとっては邪魔なわけです。
その国の習慣や習俗や文化、伝統の否定とはつまりナショナリズムの否定そのものだと思います。
これは非常に進歩的かつリベラルな考え方で、慣習や文化、伝統と言うのはソーシャル(社会)の中で育まれるわけですが、それを否定して何でもかんでも「自由に方が良い1」と彼らは考える、もしくはそう主張するわけです。
しかし「完全に自由になった世界」では「力の強いものが勝つのが道理」であり、大企業に一個人が太刀打ち出来るはずもありません。

妙な話ですが自由を目指せば目指すほど、一般的な国民は不自由を強いられるということになるでしょう。
誰かの自由=誰かの不自由という方程式が上記で成り立っているように思えます。
この場合ですとグローバル企業の自由=国民の不自由ということです。

では何故国民が不自由を強いられるのか?これは小さな政府による国家主権の縮小が原因と見るべきでしょう。
違う言い方をすれば企業の論理、ビジネスの論理が政治の論理より大きくなるということかもしれません。

これはダニ・ロドリックという方が「世界経済における政治的トリレンマ」として論じておりまして、最近日本語訳された本が出たようです。
内容は中々に面白いと聞きますので、是非とも読んでみたい本の1つであります。

おっと、話がそれてしまいました(笑)
さて現実的にグローバリズムが進んだ現在の世界で何が起こっているか?
EUは難民、移民に苦しみアメリカの大統領候補ですら「移民を制限する!」と言っております。
大統領候補のトランプやサンダースは一見過激に見えるかもしれませんが、アメリカが覇権国家を志向するのではなく内向きに回帰しようとしているその様を、まさに象徴するかのようです。
その背景にあるのは広がりすぎた格差や、低所得層の全く上がらない所得、移民・難民に伴う文化的摩擦等々の問題があります。

おそらく今後、世界中でネーションへの回帰、ナショナルへの回帰の動きが強まるのではないか?と私は予想します。
そもそも論としてグローバリズム自体が「アメリカが覇権を確固たるものにするための戦略」であった可能性が大です。
つまりグローバリズムとは国家主権の抑制に他ならないわけで、アメリカは他国の国家主権を「合法的かつ戦略的に」侵害するために当初は仕掛けていたのではないか?と思うわけです。

さて、我らが日本はどうするのでしょうか?
世界中がナショナルに回帰する動きの中で、一人「グローバリズムだ!」などと叫ぶのでしょうか?
日本および日本政府がはやく「正気」に立ち戻ることを強くのぞみます。


コテヤン@どうやら管理人
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とあるご縁でブルーオーシャンを立ち上げることに… YouTubeでは高橋聡として動画投稿しております。 チャンネルへ |  反新自由主義・反グローバリズム コテヤン基地(毎日更新) |  進撃の庶民(毎週月曜寄稿)

「グローバリズムと国家主権の対立」のコメント一覧

  1. 1
    noranekoma のらねこま  :

    米国の大統領選挙の行方によっては、TPPが消えそうな予感ww。そもそもグローバリスムのどこが進歩的なのか理解できなくて、あれがアナーキーだというなら納得ですわw。ご指摘のように「自由」とはあくまでも「資本にとっての自由」であって、カネがなければ自由などどこにもない世界です。

    自由と聞けば「行動の自由」をイメージする人が多いでしょうが、そもそも個人における行動の自由とグローバリズムは無関係です。言葉のイメージで判断するのは危険です。グローバリズムにおける自由とはあくまでも「資本の自由」です。資本を好き勝手に行動させるということです。資本が好き勝手に行動すればどうなるか?格差が拡大するのは当たり前ですよね。

    本当に自由な社会とは、原始時代に、大自然に囲まれた社会だと思います。その時代、土地は誰のモノでもなく、すべての人は土地を利用して努力によって糧を得ることができました。だから本当の意味で自由平等でした。努力すれば必ず報われるのです。しかし現代では生まれた時からすべては「誰かの所有物」です。誰かの所有物を利用しなければ何ら財を生み出すことはできません。つまり「行動の自由」はありますが、「生産の自由はない」のです。ある意味で宿命です。

    資産家ではない、一般の国民は、生まれた時点ですでに自由に大きなハンデがあります。だからこそ自由放任ではなく政府が必要だと考えています。