ナショナリズムを歴史と構造から考証する

本日はナショナリズムというものを構造的かつ歴史的に考証し、紐解いていきたいと思います。
そしてひも解き終わった時に「世界市民」などというものは成り立ち得ない、またグローバリズムも無理筋だという結論に行き着こうかと思いまう。

言葉を定義するところから始めます。
ネーション(国家とか国民と訳されますね。この場合国民)にイズムをつけた言葉がナショナリズムだそうです。
ナショナリズムを和訳すると国民主義と訳するのが恐らく正しいのでしょう。

それでは次にナショナリズムという概念が出来上がったのはいつなのでしょうか?
諸説あるようですが18世紀という説が有力なように思えます。
それまでの世界は基本的に「くに」はあっても「国」はなく、つまり民も「民衆」であって「国民」ではなかったようです。
日本で言いますと例えば江戸時代は「○○藩の人間」というのはあっても「日本国民」という意識はなかったように、世界中でも「○○領の○○村の人間」であっても「○○国民」という意識はなかったそうです。

これを端的にあらわす例として日本史で言えば戦国時代の農民は「戦見物していた」なんて記録もあるようです。
つまりどちらが勝っても領主が変わるだけ、という意識だったのかもしれません。
注※この場合は日本人という概念と日本国民という概念の2通りが存在します。

さてこれがどうやって「くに」が「国」に変わっていったのか?
イギリスの産業革命などにおける交通機関やインフラの発展、といったものがナショナリズムの形成に寄与したという説があります。
まぁこれまた諸説、諸要素ありまして軍事的な脅威を感じてとか、民主主義とか人権だとかたくさんの要素のうねりの中で形成されていったのでしょう。

例えばフランスはフランス革命によってナショナリズムの形成にある程度成功しましたが、そのあとのナポレオンによって国民軍が結成されたことは、当時フランスから侵攻を受けたドイツ等々にとって「ナショナリズムの軍事的強さ」を見せつけられた結果となりました。

なのでドイツやイタリアといった国は、意図をしてナショナリズムの形成に励んだそうです。そしてその最初の作業というのが「インフラの整備」であったことは大変面白い事実です。

1867年から始まる明治政府においても例えば廃藩置県、蒸気機関車等々によるインフラ整備、富国強兵等々でナショナリズムを形成しようとしたというのは、全く同じ流れでありフランスやイギリスといった少数例を除けば多くがこの流れだったのかもしれません。

さてナショナリズムの歴史とそれがどのようにして形成されてきたか?を振り返ったわけですが次は構造的な考証にはいります。

ナショナリズムとは「共同体に帰属する意識の最大のもの」と言えそうです。
簡単な話ですが例えばコテヤンの場合は「日本人であり大阪人」なのですけど、大阪はそもそも国ではないので「ナショナリズム」ではなく大阪人というアイディンティティは「パトリオティズム」だとか「郷土愛」の分類に入るのでしょう。

ではEUに代表されるような「国家を超えた共同体(?)への帰属意識」は?というと「トランス・ナショナリズム」と言うそうです。
いわゆる脱ナショナリズム的な思考であり、これがグローバリズムを推し進めてきた思想のいち要素だと思うのですが、これは果たして成り立つのでしょうか?

現実問題として見てみますと、EUにおいてEUへの帰属意識というのはかなり薄いように思われます。
その証拠に難民・移民問題で高まっているのはトランス・ナショナリズムではなく、ナショナリズムだという事実があります。
まぁ…これは当然の帰結で200年ほどかけて醸成されたナショナリズムと、わずか十数年のトランス・ナショナリズムでは勝負になるはずがありません。

また構造的にナショナリズムはその土台として「文化、価値観、歴史」の一定の同一性を必要とします。
日本において明治政府が割と素早くナショナリズムの形成に成功したのも、江戸時代という日本を統一的に支配していた江戸幕府があったからではないでしょうか?

そして人間にはそもそも前に書きましたように、文化を今すぐ捨て去れ!というのはそれがいくら合理的な選択だとしても不可能です。
共同体への帰属意識を支える文化、歴史、価値観、習俗等々は逆説的ですがその国民のアイディンティティであり、アイディンティティの折り合う範囲内でしかナショナリズムとは築けないのではないか?と思います。
そうでないとすればナポレオン戦争の後にヨーロッパは「ヨーロッパナショナリズム」を構築できたはずなのですから。

そしてナショナリズムのもう一つの構造的特徴は「相対的でなければ形成されない」ということです。
つまり異なる価値観を持つ「なにか」が国の外にいるからこそ、ナショナリズムが形成されると言うことです。

もう少しわかりやすく言うと例え世界政府が成立したとしても、そこに「世界ナショナリズム」などという共同体への帰属意識は生まれないということです。
もしそれが生まれるとすれば宇宙人が攻めてきたとかの時でしょう(笑)
地球人VS宇宙人となればグローバルナショナリズムが生まれるかもしれませんw

というのも人間は他との「差異」によって様々な情念や感情を抱く生き物だからです。
例えグローバリズムが究極まで進み、文化を破壊し全ての世界の人間が一定程度同一の価値観、習俗になったとしても「他(例えば宇宙人)との差異、比べるもの」が存在しなければ、その共同体(世界政府)への帰属意識など発生しないのではないでしょうか?

さてここまでかなり濃密に論じてきました…もう頭痛いwwwww
結論としては冒頭に申し上げたとおり「世界市民」などというものは宇宙人が存在しないかぎりあり得ないし、グローバリズムというのは極論すれば国民のアイディンティティを著しく犯す行為であり、だからこそナショナリズムと敵対することになる無理筋なものだということになりそうです。

ここで最後に嫌韓、嫌中保守(?)について触れます。いわゆるネトウヨですね。
コテヤンが観察している限り、彼らネトウヨは「中国、韓国の変な所」を知って嫌悪し叩いているだけで、彼らの中に必ずしも「ナショナリズム」が存在しているかどうか?というとそれは別問題だと思うのです。
何故ならばネトウヨの中には安倍信者も沢山いまして、グローバリズムを推し進める安倍政権にかなり好意的であることがその証左だと言えるでしょう。

述べてきたとおりナショナリズムとグローバリズムは敵対関係にあります。
中国や韓国よりもよっぽど根源的かつ根本的な敵対関係と断定して良さそうです。
それにもかかわらず、グローバリズムに迎合するネトウヨは「中韓たたきが趣味な大衆人」と言えそうです。
注※大衆人とはハンナ・アーレントがいう「思考停止の人々」です。

つまりまぁ…ネトウヨに何を期待しても無駄…と言えるかもしれません。
(ネトウヨの定義をコテヤンは「嫌中嫌韓のグローバリズム迎合主義者」としますですw)


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  • noranekoma

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