一緒に怒りを感じるのが保守

参議院選挙が終わり、自民党が大方の予想通り勝利をおさめたわけですが、同日放送されたチャンネル桜の参院選開票特番において、非常に印象的なシーンがありました。

それは沖縄県で自民党候補が落選した事を受け、アメリカ軍属の男による日本人女性殺害事件が今回の選挙に非常に影響があったという議論の流れを受けたコメンテーターのSayaさんによる発言でした。

「こういう事件が起きるたびに・・・日本人女性が殺されたわけだけれど、夜歩いている女性のほうが悪かったんだとか、犯罪率を引き合いに出して、日本人が起こしている犯罪と米軍が起こしている犯罪との比率を引き合いに出して、そんなに多い件数ではなかったんだと、米軍基地を肯定したい人たちはそういう風に引き合いにするんだけれど、そういう態度事態がオカシイと思っています。米軍の基地をそこに置くことは日本の守りにとってすごい大事ということと日本人女性が殺されたことは・・・(ここで水島社長より「次元が違う」と言う発言)・・・次元が違う。」

そしてこう述べられたのです。

「ただ、一緒に怒りを感じるのが保守の人だと思う。」

保守とは何なのでしょうか?

保守とは伝統、習慣、制度、社会組織を大切にする考え方であると言われますが、それはいつの?となってるんですよね。なにせ自らを「安倍ドリル」などと自称し日本の制度、社会組織を「岩盤規制」などと呼んで「破壊」すると言っているのが「保守」を自認する日本の総理大臣なのです。つまり今の日本では皇室を誇りに思い、「国防」のことをそれなりに現実的に考えれば「保守」と自称しても良くなっているんでしょう。

では、Sayaさんの考えている保守とはどういったものでしょうか?私の勝手な考えを述べさせていただくならば、彼女の「一緒に怒りを感じるのが保守」と言う言葉の中にあるであろうイメージは、保守とは「同朋愛」つまり「ナショナリズム」と同じようなモノだと考えているのではないかと思います。

それだけに日頃「我は保守なり」と大言している者達が、同朋の守るべき女性が在日米軍基地関係者に殺害され、そのことに怒りを表すよりも、この事件を騒ぎ立てる事によって日米関係の悪化、そして行われている選挙への影響のみに腐心する、その態度に我慢ならなかったのではないでしょうか。

私もそうですが一般の国民の考える「保守」なんてものは、どちらかというと「ナショナリズム」と呼ぶべき思想であって、同じ国民に抱く同朋意識、共感の情なのです。それがないものは多くの日本人にとって「保守」ではないのです。

確かに現在の日本の国防を考えたとき、残念ながら在日米軍基地の存在は必要だと私も考えます。日本単独で日本の国防を担うのは非常にムズカシイ状況です。ただそれでも、そういった国家として非常に情けない状況だからこそ、あえて「理」よりも、同朋の受けた痛みに対する「情」こそが、何にもまして「保守」と呼ばれる思想には必要なのだと思います。現実を考えた時、もちろん「理」は大事です。しかしそれよりもさらに多くの「情」を持つことが日本という国の「国民」の絆を強くし、国民同士の連帯感、同朋意識を高め結果的に「国力」と呼ばれるものを強くするのだと思うのです。

こういう事件を受け「保守」を自認する者たちが考えるべきは、戦後いまだ果たせずにいる「自存自衛」の体制の早期実現、そして同朋に対する危害は断固として許さないと決断することなのではないでしょうか。

最後に、女性としてSayaさんが感じたであろうことを、あえて考えてみます。

「日本人女性を守ろうとする気概すらない。「保守」などと自称する男どもはなんと頼りがいがないのだろう。」


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