自我の統制

自我の統制

自我の統制を現代人は抑圧することでしかできないと思っているのではないか。もしそう思っているとしたら自我を抑圧することにこだわらない人を見ると、その者を我侭な者と判定し、軽視する動機にもなります。

たとえその者が自我を抑圧できないのではなく、抑圧する必要が無いから抑圧していなかったとしても、それは同じ事で、自我を抑圧できない者-我侭な者と分類判定しかねない論理の乱暴さが現代人に見られるような気がしてなりません。

これは杞憂でしょうか。

もし事実ならばそれは重大な問題を孕んでいます。それは、良好な社会を形成する上で必要不可欠な人と人とのコミュニケーションを阻む重要な問題です。

この問題の恐ろしい点は、日常における人々の気付きの範囲外にある点でしょう。なぜなら人々は、相手のそのような欠点と思われるようなことは、ほんとうは欠点で無いとしても欠点であるのと同じ分類として処理するという要領を社会を生きていくうえでの都合のよい手段として勝ち得ているからです。

その手段を利用することはもちろん決してまちがいではありません。しかしそれは他人を誤解するのですから万能ではないと謙虚に受け止めておく必要があります。

自我を自由自在に抑圧することが可能なおのれは、決して偉くは無いのだと自覚しておく必要があるのではないでしょうか。これも社会生活を良好に保つ知恵の一つかもなのだと。

そして自己を抑圧することによって自我を統制しながら生きていく方法は、抑圧を溜め込む事にお通じますので、多くの人々の心の抑圧という世間の鬱屈を作り出すことにもなりかねないことなのだと知っておく必要があると思うのです。

自我の統制方法は、自我を抑圧することの他にもうひとつあります。

それは論理的に最適解を見つけながら行動する方法です。

論理的最適解に沿って行動するということは、それは自我の希望であり、自我も納得するので、自我の抑圧ではなく自我を生かしながらの行動となります。その行動結果は良好なことがことが多くなりますので、周囲から見ても受け入れやすく、その良好な結果を呼び込んだ人の自我の強さを邪魔にすることは、偏屈な人で無い限りは少ないと思われます。

しかし良好な結果が少なくなると、その人の自我の強さが鼻に突き出すのも多くの人間の身勝手さともいえます。

さてこちらの方法、すなわち最適解に自分の希望を合わせる方法も人々はもちろん採用してはいますでしょう。しかしその採用はわずかの可能性があります。わずかでなくともこのことを意識していないことの悪影響はとても大きく最初に申しましたように、案外と簡単に他人を我侭者と判定しがちなのです。

そしてこのことは間違いなく、区別していないに違いありません。

さて、貴方は、

ご自分の自我を抑圧することで統制していることの多い人間ですか?

それとも、論理的最適解を見つけ出す事でご自分を統制する事が多い人間でしょうか?

ところで、議論は何のために行うのでしょうか?

いまさらですが、それは、物事の最適解と最適解のコンセンサスを他人と共有することにあります。

この二つの目的なくして、議論の意味はありません。

ところがヒトは、自我がとても強い。

いや自我の強さを否定するつもりはありません。むしろそれは、歓迎すべきだと思います。

何故ならヒトは自我なくしてこの世に存在することはありえないからです。

横道にそれますが子供を育てるに当たり自我の抑圧をさせたがる親がいるでしょう。それが子供の将来のためのしつけだと思うからです。しかしそれは子供の心を虐待していることにも通じるのだと言うことは知っておいたほうが良いと思います。子供の自我のその抑圧は、子供を狂人にあるいは意気地なしに仕立てあげているのかもしれませんよ。

話を元に戻します。

ヒトの自我は、実は強いほうが良いでしょう。

自我が強ければ敢然と苦難にも立ち向かって行けるからです。何者にもめげない心は自我の強さから生まれ出るものだと思われませんか。

さて更に話を戻します。

実は議論するにおいて自我の強さが邪魔になると思われる方は多いのではないでしょうか?自我が邪魔をするのは、自分の考えが間違いだと指摘されたときだと思いますが、多くのヒトはこのとき、自我が否定されたと錯覚するのかもしれません。

そのように思ってる方は相手気持ちを慮り、

従って、議論においてさえ、相手の意見を極力直接的に否定しないようにまるでオブラートに包めるように努力します。

しかしこれをやられると何を言ってるのかさっぱりつかめないことも多くなります。

 

議論の目的は最初に申しましたように二つです。一つは最適解を得ること。もう一つは最適解を共有することです。

相手の主張に対しオブラートで包んだようなコメントは確かに相手の気持ちを大切にしてはいますし、最適解に近づくこともいくらかは出来ます。しかしそれを共有するとなると程遠いと言わざるを得ません。ということは、それでは、政治を変えられるほどの大きな力を結集することはとても出来ないのではないかと案じてしまいます。

 


「自我の統制」のコメント一覧

  1. 1
    コテヤン@どうやら管理人 コテヤン@どうやら管理人  :

    これは議論の仕方を示唆している、非常に興味深い記事です。

    >議論の目的は最初に申しましたように二つです。一つは最適解を得ること。もう一つは最適解を共有することです。

    これには少々反論もありまして私は議論とはお互いの認識を深め合う「協調作業」なのだと思ってます。
    例えばですが橋下徹氏のような勝つために詭弁を使うような人とは、議論にならずお互いに「闘争」になりますです。
    この協調作業的な議論の末に、反新自由主義が成るか?と言われるとわかりません。
    わかりませんがトライアンドエラーでやっていくしか無いかなと。

  2. 2
    Gokai  :

    >>コテヤン@どうやら管理人さん

    コメントありがとうございます。

    >これには少々反論もありまして私は議論とはお互いの認識を深め合う「協調作業」なのだと思ってます。
    ↑これはGokaiがいう最適解を得る作業だと思ったのですがちがうのかな~?

    ところでGokaiのブログをはじめたのですが、そのため寄稿コラムからURLを断りもなしに引っ張ったのですが問題あれば注意くださればありがたいです。. m(_ _)m

  3. 3
    noranekoma のらねこま  :

    人が意志を決定して行動するのはいかなる場合かといえば、それはある意見に共感した場合ではないでしょうか。そしてどのような場合に共感するかといえば、理論よりむしろ感情である場合が多いと
    考えます。意識は無意識に支配されていますから。

    ですから、人を動かす方法も多様だと思います。理論と感情をうまく使いながら、相手から共感を引き出します。そして残念ながら、どれほど話をしても相互に共感できない場合が必ずあると思います。そこに、どのようにして折り合いを付けるかは、人それぞれだと考えております。

  4. 4
    コテヤン@どうやら管理人 コテヤン@どうやら管理人  :

    >>Gokaiさん
    あ~なるほど、同じ意味で使われてましたか。
    最適解という言葉に対しての私の持ってるイメージ的なもの?が違う風に感じさせたのかも…

    ってかブログ始められたのですか!これは私的にちょっとしたニュースですΣ(゚Д゚)ビックリ
    反新自由主義ブロガーがここにまた一人誕生ですねヽ(=´▽`=)ノ
    引用やらURLやらどんどんやっちゃって下さいw
    もともと皆様に情報やらを提供するために始めたサイトですからw

    あ、あとこれはご注進なのですが「鼻毛さん」にはお気をつけを。
    (こ~言うニックネームのブロガーさん)
    Gokaiさんと同じ分配論の方ですが、最近?なのかな?荒れてるみたいで。

    >>のらねこまさん
    >理論と感情をうまく使いながら、相手から共感を引き出します。

    これ難しいですよね。
    特に保守界隈だと「正論さえ言っていればいつか振り向いてくれる」という方たちも根強いんです。
    最近は世代交代が進んでいるようですが…

  5. 5
    コテヤン@どうやら管理人 コテヤン@どうやら管理人  :

    >>Gokaiさん
    びっくりしてて忘れてた・・・
    ぜひぜひ拝見させていただきたいので、ブログのURLとか適当な時期にでも教えて頂けたらいいなと。

  6. 6
    Gokai  :

    >>のらねこまさん
    >人が意志を決定して行動するのはいかなる場合かといえば、それはある意見に共感した場合ではないでしょうか。

    せっかくコメントいただいたのに、「自我の統制」とのつながりがわかりませんで考えた末、
    共感があれば確かに協調行動が取れ易いこともあり、
    理論だけではだめなんだな~ということかと受け取りました。
    人間仲良くする気持ちはとても大事でGokaiもそうしたいとは思います。ただ根拠薄弱で見下されるのはいやですけどもです。

  7. 7
    noranekoma のらねこま  :

    >>Gokaiさん

    Gokaiさんの「自我の統制」の部分についてコメントしたわけではなく、最後に書かれてある「政治を変えられるほどの大きな力を結集することはとても出来ない」というGokaiさんの判断に対するコメントです。すこしわかり難かったかも知れませんので申し訳ないと思います。議論の大切さは当然ありますが、そのやり方も人によって違います。

    結局のところ、人を動かさないと政治を変えることはできません。動かそうとする相手に応じて対応しなければ、動かすことが難しいと思います。議論好きな人には議論で良いのですが、あまり好きでは無い人に議論を強いれば、共感どころか、二度と相手にしてもらえない可能性もあります。そうなれば、逆効果になる可能性もあります。人に強いるのではなく、自分が相手に合わせるわけです。

    ですから「議論をしなければ結束などできない」というのではなく、「議論の好きな人はすれば良いし、互いに共鳴する部分を補足し合うのも良いし、単に仲良くするだけでも良い」と思うのです。特に初心者の人や、価値観の微妙に違う人なども取り込んで、大きな動きにしたいのであれば、その方が効果的だと思います。もちろん、最終的にはサイトの運営方針によると思われます。

  8. 8
    Gokai  :

    >>のらねこまさん
    >ですから「議論をしなければ結束などできない」というのではなく、「議論の好きな人はすれば良いし、互いに共鳴する部分を補足し合うのも良いし、単に仲良くするだけでも良い」と思うのです。

    なるほどご忠告有難うございました。
    Gokaiは納得しないと動けない癖を持つ人間ですので、ついつい他人もそうだと勘違いしてしまいます。世の中そういう人ばかりじゃないということですね。
    やはり、のらねこまさんのおっしゃるとおりだと思います。
    Gokaiが商売人なら絶対失敗しますね。w

  9. 9
    noranekoma のらねこま  :

    >>Gokaiさん

    ありがとうございます。自分は営業職で散々苦労しましたので(なので、営業の仕事はもうこりごりなのですw)。もちろんご周知のように、場や目的によって方法は違いますから、たとえば、学会のような議論を前提とする場で自分のように「単に仲良くするだけで良い」なんて言えば、「なんじゃこいつ」と思われることは間違いありませんw。