保守と革新と右と左と新自由主義経済学

現在の日本は保守や革新、右や左や旦那様~…・・・・・・・・(最近、中野剛志病、ダジャレを言わないと死んじゃう病に犯されておりますスイマセン)
じゃなくて保守や革新、右と左等々の政治思想系の話と、経済学的左右の話が大変ややこしい状況になっております。

最初にですが私は政治思想としての保守しか詳しくありませんが、ここを起点として考察していきたいと思います。
(ちなみに私は自分自身で保守かどうかはわかりませんし、立場を述べようともあまり思っておりません)
政治思想的左右は革新と保守と考えて下さい。

さて、まずは政治的な保守、革新という色分けから考えていきましょう。本来の意味で。
保守とは伝統、文化、歴史、共同体を重んじるとされております。つまりこれまで積み上げてきたものを重んじ、共同体(地域、国)を重んじるという姿勢になろうかと思います。

革新とは恐らくですが国を愛しつつ「新しい手法に積極的」な姿勢かと思います。
例えば民主主義発祥の地、フランス革命は革新的と言えるのではないでしょうか?その後の凄惨な歴史が合ったとしても。

しかしながら一つの物事は多様な側面を大概持っておりまして、どのように解釈するかによって色分けもまた変わってきます。
アメリカの孤立主義(モンロー主義)は保守でしょうか?革新でしょうか?
アメリカがフロンティアスピリッツにあふれる国体(国の体質)だと解釈するならば、孤立主義はどう捉えられるでしょう?革新ですか?
逆にアメリカは孤立主義のほうが長いと捉えるのであれば、フロンティアスピリッツは革新でしょうか?

とどのつまり、その思考の根底に「ナショナリズム」があるのであれば、保守や革新といった色分けはそこまで意味を持たないのかもしれません。
ただ目線の違い、時間軸なのかもしれないという気はします。
例えば遠い未来の「完全自動ロボット社会」を考えた場合には思考過程は「革新」になるのは必然です。
逆に我々日本人が遠い祖先に思いを馳せ、歴史に思い馳せるときには「保守」となるでしょう。また現在と近い未来においても同様です。

なので(本来的な)保守や革新とは以下のように言えるかもしれません。
保守:伝統、文化、歴史、共同体を重んじ、現在と近い未来に日本がどうするか?という考え方
革新:来るであろう未来の社会を考え、それにそって思考する考え方

こう考えると「ソビエトの共産革命」「フランスの民主主義革命」が革新に分類される理由が何となくしっくり来るかと思います。
(ただやり方も主張もかなりまずかったですが…)

さて、次は経済的な左右。
先ず最初に申し上げておきたいのは「経済的な左右」は本来「政治思想的な左右(革新、保守)」と関係ありません。
縦軸と横軸の様なものです。

経済的に左と呼ばれるものにはいろいろな分類がありますが、一番左が共産主義。続いて社会主義。その次がケインズ主義
一番右が新自由主義ということになろうかと思います。
ここらへんが大変にややこしく、相手がどういった意味で「左右」を使っているのか、これは議論されるときに相手に聞くべきことかもしれません。
(政治思想としてかそれとも単なる経済的左右か)

ここでご注意いただきたいのが政治的な保守(右)と経済的な右は必ずしも一致しないどころか、相反すると言えるものだということです。
新自由主義とはそもそも国境をなくし、ヒト・モノ・カネを自由に移動させ、国際的に共通の市場ルールを押し付け、小さな政府を目指すという考え方です。

まずもって保守が重視するべきは何だったでしょう?
伝統、歴史、文化、共同体です。
新自由主義的に考えて文化なんてお金にもなりゃしませんので否定されます。
最近「英語教育が~!グローバリズムだ~!国際競争の出来る人材を~!」とか言ってる人たちは「日本語」という文化を重視してないわけです。

新自由主義は国境を意識しません。つまりナショナリズムの否定をするわけです。
これは本来的な意味である保守、革新すら否定する「守銭奴改革主義」とも言うべきものです。

小さな政府は共同体の破壊と解釈ができます。何でもかんでも「民営化!」、難病治療にも「民営化!」、恋人が出来ないなら「民営化!」というわけです。宗教ですね完全に。
小さな政府といえばなんだか聞こえがいいですが、国民に対する政府の保護能力の低下と解することが可能です。
そしてこれが何を産んでいくか?政府の保護能力が欠損した結果として、国民は極寒の競争市場という地に、薄着で立たされることになるわけです。
99%の貧困層と1%のリッチな経済人の対立構造を生み出し、めでたく「共同体だったもの」は「共同体ではない何か」に変えられていくわけです。
※ここらへんは1%の経済人が99%の中の大衆人(ハンナ・アーレント定義、ルサンチマンによる思考停止の凡庸という悪魔)を操るわけです。これだけで記事が1本書けるくらいです。
これも保守思想と完全に反します。

安倍政権に話を移してみますと、彼らは保守でもなんでもありません。
日本には新自由主義を支持する自称保守、エセ保守が沢山いますが、彼らも保守ではありません。
また日本には未だに革マル派等々の過激な左がいるようですが、彼らにナショナリズムはありませんので革新ではありません(むしろ彼らのやっていることはテロであります)
そして国民の分断と対立を生み、人々を貧困化させ、国家をないがしろにする新自由主義もまた国家に対するテロだと解することも可能です。

その思想、思考の根底に「ナショナリズム」「国民の幸福」という概念があるかどうか?
これが本来の保守、革新だと筆者は思います。

皮肉なことに新自由主義と「いわゆる保守と呼ばれる妖怪ノータリン」が結びついた結果、現在の日本の政治は混迷を極めております。
また彼らのせいで「保守、革新」という言葉も混迷しております。
そして自称保守やらエセ保守はやれ嫌韓だ!やれ嫌中だ!やれ既得権益の打破だ!やれ改革だ!と強い自分を演じるために「保守の皮」を被っております。

保守という思想を知っている筆者は高らかに声を上げます。

くたばれ!エセ保守!くたばれ!新自由主義!

と。


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「保守と革新と右と左と新自由主義経済学」のコメント一覧

  1. 1
    noranekoma のらねこま  :

    コテヤン様

    おお、しまいには過激wになってますけど、気持ちがわかりますねー。

    自分は自分を革新だと思ってますが、ナショナリストなので共感するところがあります。ちょっと考えてみるといわゆる社会主義の考え方は共同体ですから、左派と保守は政策的に共通点も多々あると思うんですよね。最大の違いはナショナリズムつまり「反日思想」じゃないかと。左派にこれがある限り、左派と保守の共闘はないんだろうな、と思ったりします。

    なので、左派の人は愛国左派を立ち上げるべきだと思います。そんで、反日左派を追い出せば、共闘可能になりますよ(妄想全開ですw)。愛国は右派の特権じゃないでしょw。いや、それにしても、こうやって書いていても右派と左派という分類は頭を混乱させます。新たな分類が必要ですね。

  2. 2
    コテヤン@どうやら管理人 コテヤン@どうやら管理人  :

    >>のらねこまさん
    なはは、最後のあれは寄稿コラムでパターン化しちゃってますw
    非常に真面目に書くとき以外は、だいたいあれが入りますw景気付けみたいなものですw
    (いや…このコラムも真面目にはかいてますぉ?)

    >最大の違いはナショナリズムつまり「反日思想」じゃないかと。

    私もそうだと思います。もしくは「国」という概念の喪失かと~。
    歴史的に見れば第二次世界大戦、大東亜戦争の敗戦から「ナショナリズムの喪失」が始まったのではないだろうか?と思っています。

    現在の日本ってBKD(売国奴)vsナショナリストなんですよねぇ~
    ナショナリストは左右関係なく共闘しないといけませんな…w

    >新たな分類が必要ですね。

    なんですよねぇ。未だにマスコミさんやら2ちゃんねるでも、あまりちゃんとした定義で使っていないというかなんというか。

  3. 3
    jan2002 花のヤン  :

    >>コテヤン@どうやら管理人さん
    >経済的に左と呼ばれるものにはいろいろな分類がありますが、一番左が共産主義。続いて社会主義。その次がケインズ主義
    >一番右が新自由主義ということになろうかと思います。

    私の感覚では経済学とは経済運用する上での道具を模索する学問であって、やはり右から左へと一列に並べて分類することには抵抗を感じますね。
    別に、新自由主義や共産主義がケインズ経済学や新古典派の成果を利用することは可能なのですから

    やはり、全体としての道具の組み合わせや運用のやり方で政策セットの方向が決まるものであって、道具のしての経済政策や理論を左右で分類することには意味はないと思います。

  4. 4
    コテヤン@どうやら管理人 コテヤン@どうやら管理人  :

    >>花のヤンさん
    う~んおっしゃることはごもっともなのです。
    所詮経済論とは「その時にあった処方箋」を論ずるものだと思います。
    ただ多くに人が「右や左の旦那様~」と言っている状況ですので、一応分類をwとw

    ま、学問的には分類の意味が無いと言われればその通りで、純粋に見れば意味が無いのですがw
    ただ経済学もイデオロギー的な側面が各経済学にあるんじゃないかな?と。

  5. 5
    jan2002 花のヤン  :

    >>コテヤン@どうやら管理人さん
    >ただ経済学もイデオロギー的な側面が各経済学にあるんじゃないかな?と。

    たしかに、そうした面はありますね。
    政治とは根本的には生産や生産物の分配に帰結するというのが私の解釈です。
    たとえば、新自由主義や共産主義も私の解釈ではどこの階層に分配するかの問題に過ぎません。

    もっとも、各経済学派のイデオロギー面にこだわるよりも、各経済学派の道具としての理論やツールを偏見なく自分たちの主張に取り入れて利用していくべきではないかと私は思うのですが。