議論に怒りは禁物、冷静さを失った人は即退場

みちるさんこと私が、7年の政治活動から紡ぎ出した議論の仕方、ポイント集。「正しいのは自分たちだけ」「ぼくらも知ろうよ」「現状認識のすりあわせからスタート」「相手への怒り」など、時代に阿らず、時流に対して屹立し、活動を本当に豊かにするための13の言葉たち。


反対だとか嫌いだとかいって付き合わなかったら始まらない。例えば商売やるときに、相手のお客さんが嫌いだから「あんたにゃものを売りたくない」なんてどっかの頑固おやじのすし屋、ラーメン屋じゃあるまいしね。
   ◇
サヨクは自分を肯定し、相手を否定する。右翼もまったく同じだ。”正しいのは自分たちだけ”。
   ◇
賛成反対を唱える前に、やっぱり、ぼくらも知ろうよって思うんです。
   ◇
たとえば、反対派に「作り話」が上手な人がいて、一旦それが流布すると、有識者も含め、他の話に聞く耳を持たなくなる。「法案を読んでください」と言ってももう遅い。
   ◇
まず、現状認識のすりあわせからスタートしないと、そこがばらばらではいけないから共通の正確な事実認識の下に、賛否の議論ができればいい方向へ向かうと思う。
   ◇
相手への怒りを原動力にしてると変な方向性に行きやすい。
   ◇
この世で起こることは全て「自己責任」と考えると少し気が楽になる。何かの理由を他に求める時代は終わった。
   ◇
イデオロギーを超えて物事を思考するようにしないとおかしな結論になると思う。
   ◇
トンデモ情報を掴んでしまって、「日本の外ではこんな報道がある!これが真実だ!」みたいになっちゃうと、行き着く先は月刊ムーになる。リンクをクリックするだけではなく、クリックそれ自体が取材なんだという能動性が必要になる。
   ◇
自分のイデオロギーは曲げないけれど、人の話にも耳を傾ける。「多数派の暴力」などと選挙結果を否定しない。
   ◇
歴史上の事件を語る人に、それが真実かどうかの証拠の確証を得ない人がいる。非常にコストが掛かるのはわかるけれども、確証を得ないのにそれを論拠にしてしまう時点で「声の大きさ競争」になっていることに気がついていない。
   ◇
自分の悪い所を人に聞いて、自分の見せ方を工夫する。
   ◇
2ちゃんまとめやUS、あじあんにゅーすなどを拡散する人は情報リテラシーが低く、いっぱしの発信者として見てはいけない。

【終わりに】
いい加減、年齢的にも、怒りを抑えて議論をゆっくり楽しんで嗜まないとイケナイとは思うのですが、どうしても短気な性格抜けないもので。 

おまけに、余計なことにまで首を突っ込んでいくタイプなので・・・(⌒▽⌒)アハハ!

おかげで、失敗の連続です。まあ人との距離感というのは感覚掴めてきたかなと。

元記事はこちらです。
http://www.minsya.jp/2015/11/01/%E8%AD%B0%E8%AB%96%E3%81%AB%E6%80%92%E3%82%8A%E3%81%AF%E7%A6%81%E7%89%A9-%E3%81%9D%E3%81%AE%E3%83%9D%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%88
斉藤みちるが、加筆、修正して投稿しました。


このユーザーがいいねしています

  • コテヤン@どうやら管理人

「議論に怒りは禁物、冷静さを失った人は即退場」のコメント一覧

  1. 1
    コテヤン@どうやら管理人 コテヤン@どうやら管理人  :

    ご寄稿ありがとうございます!ご要望したその日にご寄稿いただくとは思っても見ませんでしたΣ(゚Д゚)ビックリ
    私もみちるさんの記事に触発されて、議論に関するエントリー書いてみましたw
    議論を嗜む、いい言葉ですねぇ…シミジミ

    まぁ私もたまに熱くなったりもあるので、自分を戒めねばw

  2. 2
    Gokai  :

    >議論に怒りは禁物、冷静さを失った人は即退場

    このテーマのコラムは仲良しが大事ですよと教えることを目的としているのでしょうか。
    分かっている事でしょうが人間社会は、“なかよしこよし”では成立していません。
    南沙諸島問題やパリテロを見ればそれは明らかです。
    “怒り”は必要です。
    ところが“冷静さを失うこと”は問題です。
    ただ“退場”すべきとは思いません。
    それはコラムにも書かれておられるとおりで
    “反対だとか嫌いだとか言って付き合わなかったら始まらない。”からです。

    中国の南沙諸島問題や東トルキスタン問題やチベット問題などには怒りをもって断固として対処し、しかも冷静さを失わないで粘り強く対処することが問題解決の方法だと思いますね。
    人間の心は、真実でしか繋がる事ができないのだと強く主張したいです。

  3. 3
    baiannmidareame やす  :

    非常に為になりました。

    >歴史上の事件を語る人に、それが真実かどうかの証拠の確証を得ない人がいる。非常にコストが掛かるのはわかるけれども、確証を得ないのにそれを論拠にしてしまう時点で「声の大きさ競争」になっていることに気がついていない。

    そうなんですよね、私もその内容の証拠(一次ソース)を探すのが大変で、よく怠けてしまうのですが、それではダメですよね。

    >トンデモ情報を掴んでしまって、「日本の外ではこんな報道がある!これが真実だ!」みたいになっちゃうと、行き着く先は月刊ムーになる。リンクをクリックするだけではなく、クリックそれ自体が取材なんだという能動性が必要になる。

    クリックは取材ですか、納得です。

    「月刊ムー」、名前だけで話のオチになる素晴らしい雑誌ですね(笑)

  4. 4
    holyfirework 灯火  :

    非常に身につまされます。
    私もそのことを肝に銘じようと思います。
    多くの人が議論の姿勢について投稿されていますが、これだけ皆さんの支持と理解があるなら、それをルールとしてもいいかもしれませんね。

  5. 5
    コテヤン@どうやら管理人 コテヤン@どうやら管理人  :

    >>Gokaiさん
    その真実の実態を明らかにするのが議論であり…と無限ループに入りませんか?

  6. 6
    Gokai  :

    >>コテヤン@どうやら管理人さん
    >その真実の実態を明らかにするのが議論であり…と無限ループに入りませんか?

    真実を伝える行為を議論と呼ぶ場合もあるかもしれませんが、
    それを除けば
    “真実が何か”を延々と議論するというのは、ありえなくてそれはどちらかが錯覚しているときでしょう。

    とにかく、真実に逆らえばろくなことがないのは誰もが知っているので、他人には噓を教えても自分だけは従っているはずです。
    だから普通は、真実で人の心と心はつながるはずでは?

  7. 7
    コテヤン@どうやら管理人 コテヤン@どうやら管理人  :

    >>Gokaiさん
    私は真実というのは、自分が認識することとそれが真実であるかどうか?は別であると考えます。
    あらゆる仮説から真実に近い答えを見出すことは出来ても、それが「真実なのかどうか?」はさらに仮設を重ねての検証が必要なのだと思います。

    そうしてあらゆる議論に耐え得る、あらゆる検証に耐え得る答えが「恐らく真実なのだろう」と思うわけです。
    例えば今「政界を戦争に導くグローバリズム」という本を読んでおりますが、アメリカの外交には理想主義と現実主義、さらにそれから分類される様々な主義があるそうですが、当代一流の学者ですら自分が真実だと思っていた手法に裏切られることがあったりします。

    社会や国際情勢とはかくも複雑なのか、と思い知らされます。
    例えば日本を豊かにするという命題を掲げた時に、外交、国際情勢も避けて通れない議題です。

    真実を探求する姿勢そのものが議論であり、あらゆる論は仮説に過ぎず、どの論が真実により近いか?を探求していくことが必要なのでは?と感じています。