国の構造、それぞれの階層と新自由主義的発想

筆者は国を作る構造に階層があると思っています。
それは何か?というと幾つかに別れるのですが、新自由主義的発想とはその表面上しか見ていないと思うのです。

国を作る構造的階層とは何か?と言いますと一番土台には言わずもがな、国土、国民があるわけです。
これに異論がある方はなかなかいないと思います。
国とはそもそも国土というコミュニティ(共同体)の土地があり、そしてそこに住まう国民があってこそ成り立つわけです。
これを欠かして経済をいくら語ってもそれは空理空論以外の何物でもないでしょう。

次に国に住む国民を結ぶインフラストラクチャーというハードがあります。
そして国民を司る政治があり、その政治の一番に考えるべきことは国民の安全保障とインフラストラクチャーなのだと思います。
インフラストラクチャーなくして、政治などやりようもなくインフラストラクチャーがあって初めて人の交流が生まれ、経済が生まれ、政治が生まれると思います。
そしてインフラストラクチャーと一緒に政治が考えるべき事柄はまず最初に「安全保障」という国民への豊かさの提供なのだと思います。
これにはインフラストラクチャーも含まれますし、例えば食料、エネルギー、軍事等々の安全保障が含まれるわけです。

その次にソフト的な安全保障、つまり医療ですとか介護、セーフティーネットや教育等々という政治や安全保障(ソフト)が存在します。
これらはインフラストラクチャーという人の行き来があって初めて、生じ得るものなのだと思うのです。
またエネルギー、食料、軍事に過不足ない場合に考えられるものなのだと思います。
道路がどこにもない村に誰が先生に行くのでしょう?医療も然りでインフラストラクチャーなしにはなかなかそこへ行く先生もいないでしょう。
また軍事的に他国に攻め込まれる国では、国民が医療やセーフティーネット等々を求められるでしょうか?
明日のエネルギーにも困る国で医療が発展するわけもありません。

そして最後に民間企業等々が活躍する市場というものが存在すると思うのです。
ここで初めて経済学が生きるわけであり、ただしこの階層だけを「世の中の全て」と規定したのが新自由主義経済学ということになろうかと思います。
古くの時代の村々を見てもインフラストラクチャーが通ってなければ、その村々の経済圏、市場というものは存在しようがありません。

本来国と第二階層のインフラストラクチャーから第四回層の民間企業等等の市場までが循環的に、経済学として語るべきであり、第四回層のみを表層的に捉えて語るべきではないのだと思います。
そして国民国家を考えるならば第一階層は当然に重要な部分として、第二階層がその次に重要な部分として語られるべきなのだと、国の構造からして思うわけです。

経済学とはそもそも「既に人の行き来がありインフラストラクチャーが十分にある」という前提条件で語られがちですが、インフラストラクチャーと第三階層以上は不可分の結び付きがあるわけです。
国民経済を語る時にインフラストラクチャー、そしてソフトインフラ(教育、医療等々)も含め考えるべきであり「民間と国」という二元構造では語れないと思うわけです。

経済を語るとき、そこには確実に政治学、国際情勢、軍事、哲学、社会学、地方行政学、歴史学等々様々な視点が存在し、その視点を整理して「どういう構造なのか?なにが優先されるのか?何が土台なのか?」というものを見つめますと、書かせていただきましたような構造が浮かび上がってくるのだと思います。
これは国と言うものの成り立ちからしても「なかなかこの構造は正しいのではないか?」と感じるのは筆者だけでしょうか?

論じ詰めますと「経済」というのは国という構造体の一つの側面から、一つの階層を見つめるだけになりかねません。
現実を多角的に捉えること、これが必要なのではないかと思う次第です。

もしこれが出来た時に、経済学というのは実践的な思想学まで上り詰めるのではないか?と思うわけです。

P.S
筆者は大した学歴もなければ大した学もありません。ただただ興味の向くまま歴史から始まり軍事、政治そして経済と手を伸ばしてきた人間にしか過ぎないのです。
近現代史を学べば政治学や戦争論(クラウゼヴィッツ著)を手に取り、軍事を学べばランチェスターの法則等々の本を手に取り、経済を学べば三橋氏ブログを精読し、そして大阪都構想に行き着きハンナ・アーレントを藤井氏著書で学び哲学に行き着き…
非常に無節操に興味の赴くままであります。
(ちなみに英語の原著は基本的に読みません。大概難しいので(汗))

お金の流れという経済学的な横軸の他に、縦軸が存在してるのではないか?浅学な筆者は最近ずっとそう思い、それを表現したいと筆?!・・・・じゃなくてキーボードを取りました。
ぜひぜひ、まだまだ筆者自身「どうなんだろうか?」と考え続けていますので、コメント欄でご意見いただけましたら幸いです。


コテヤン@どうやら管理人
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「国の構造、それぞれの階層と新自由主義的発想」のコメント一覧

  1. 1
    yuruneko_blue ゆる猫  :

    こんばんは。

    国にとって、何が一番重要か、といった感じのテーマでしょうか。

    コテヤン様の認識では、インフラを整備することが国にとって、もっとも重要であり、それがすべての経済活動の「土台」になる、という認識ですよね。

    しかし、「土台」とは、いったい、どのような意味なのでしょうか?

    誰にとって、あるいは、何にとっての「土台」なのでしょう?その先にはっきりとしたビジョンは、示されているのでしょうか?…それが、最も重要な部分ではないでしょうか。

    コテヤン様の目には、国民の幸せな姿がはっきりと映し出されていますか?それとも、よく分らないが、なんとなく正しい気がする、といった感じですか?それとも、あまりいい方法ではないかもしれないが、現状よりはマシだろう、という感じですか?

    我々は、何を「土台」として、生きていくべきなのでしょう?本当の「基礎」とは何なのでしょうか?…それを見つけ出すことこそが、本当の「土台」なのではないでしょうか。

    …再び、駄文ですみません。

  2. 2
    コテヤン@どうやら管理人 コテヤン@どうやら管理人  :

    >>ゆる猫さん
    例えばですね、村と村の交流があって村と村は経済圏(市場)が出来たわけです。昔々の話ですがw
    ではその交流を支えたものとは?という非常に原始的、原点的にたったコラムです。

    「土台」とはそれなしに発展しようがない、と言う意味にとって頂けたらと思います。
    誰にとって?と言う問いには「日本国民にとって」とお答えさせていただきます。

    >国民の幸せな姿がはっきりと映し出されていますか?

    少なくともインフラストラクチャーを整備しない未来よりは…した方が良い未来かと思います。
    国土→交通となる以上、国造りの最重要点という認識で書かせていただきました。

    経済学は循環的にこの流れを学問に落とし込んでいければ…という主張です。

  3. 3
    yuruneko_blue ゆる猫  :

    >>コテヤン@どうやら管理人さん

    僕も経済発展のためには、道路が絶対に欠かせないもの、と考えています。

    しかし、問題は量的な部分でして、道路の維持にどれぐらいの費用がかかるのか、それに対して、どれぐらいの経済効果が見込めるのか、という部分がいまいち見えてこないので、なかなかピンと来ないような議論になってしまうと思うんですね。

    何かわかりやすいデータとかはないものでしょうか?

  4. 4
    noranekoma のらねこま  :

    非常に面白い考えだと思います。国ではなく、社会と言っても良いかも知れませんね。もしくは共同体とか。原始の共同体のインフラは自然の野山だったわけですね。今はもっと複雑になりました。

    社会主義であろうと、資本主義であろうと、共同体の基盤となるシステムが存在しており、それはそれとして、しっかり整える必要があるのであり、むしろそれを整える方法として社会主義や資本主義があると考えて宜しいでしょうか。それが宇沢先生のいう社会的共通資本との認識でしょうか。

  5. 5
    コテヤン@どうやら管理人 コテヤン@どうやら管理人  :

    >>ゆる猫さん
    そこら辺についての効果的な論証がまだ実は済んでませんで(汗
    (進めているのですが、非常に多岐に渡りまして…論証済むのかな…これ…と私自身迷走しておりますwww)

    ざっと一般論的に考えますと「経済的に効果の高い投資となりえるインフラ」「低いインフラ」は当然ながら存在すると思います。
    例えば北陸新幹線では金沢はかなり良い状況のようです。
    他にも大阪名古屋東京のリニア同時開業では経済効果がシミュレーションにより確認できるようです。
    http://www.mitsuhashitakaaki.net/2015/01/20/fujii-127/

    あとメンテナンス費用ですが、これには少し包括的な議論が必要かもしれません。
    つまり「経済効果が低いから引かなくていい」ではなく「何を目的にそのインフラが必要か?」という議論です。
    例えば安全保障上の観点、冗長性の観点、もしくは集落の維持という観点等々。
    そして「経済性の高いインフラ」でこれら上記のインフラメンテナンスコストをカバーすれば良いのではないか?というのが私の現在の感想です。

  6. 6
    コテヤン@どうやら管理人 コテヤン@どうやら管理人  :

    >>のらねこまさん
    そのような言い換えも可能ですね。

    >それが宇沢先生のいう社会的共通資本との認識でしょうか

    すいません、この方は私存じあげないのです。
    ただ社会共通資本という考え方になろうかと思います。この考え方は恐らく新自由主義には無くて、私の場合は本来の保守主義という考え方と歴史や政治、三橋氏、藤井氏等々からコラムのような構造になるんだろうなぁ…と思った次第です。

    宇沢先生ググりましたが、すごく貫禄のある先生ですねw

    >むしろそれを整える方法として社会主義や資本主義があると考えて宜しいでしょうか。

    ちょっと哲学的問いのような気がしますが、そう考えて頂いてよいかと。
    封建主義の時代であれ、共和政治のローマであれ、社会主義であれ資本主義であれ、インフラストラクチャーが歴史的に重視されてきましたし、これなくして国はなしと思います。

    ちょっと話が横道にそれるのですが、「グローバリズムが世界を滅ぼす」という中野剛志、柴山桂太、藤井聡、エマニュエル・トッド、ハジュン・チャン共同著書がありまして。その中で
    「ナショナリティによって国は形成され、このナショナルは存外強く、ユーロ圏は民主主義によってナショナルを窓から追い出したら、玄関から戻ってきていた」
    という一節がありましてw

    やはり現代世界においてはナショナル、国民国家という概念からは逃れられないのだなぁと。
    あぁぁぁ…話が横にそれ過ぎましたorz

  7. 7
    noranekoma のらねこま  :

    >>コテヤン@どうやら管理人さん

    社会的共通資本について十分に理解しているわけではありませんが、宇沢先生は資本を「私的資本」と「社会的共通資本」に二分して考えているようです。私的資本は市場で自由に取引される資源で、市場原理に基づいた経済活動に用いられます。一方の社会的共通資本は私有が認められず、市場で取引されるものではなく、公平に分配されるべきものだといいます。具体的には大気、河川、森林などの自然資本と、道路、鉄道、上下水道、電力などの社会資本、それに司法、教育、医療なども加えるといいます。そして、私的な生産活動の生産性は、この社会的共通資本に依存すると言います。

    >ナショナルを窓から追い出したら、玄関から戻ってきていた

    いや~わかりますw、それが人間の本質のような気がします。グローバリズムは人工的で不自然なのではないかと。人間としての自然体を維持しながら未来に向かって進化する必要があると思います。そうしないと、人間以外の生物に進化する恐れがあります。宇宙人(あの人です)とか。

  8. 8
    コテヤン@どうやら管理人 コテヤン@どうやら管理人  :

    >>のらねこまさん
    社会共通資本の説明ありがとうございます。
    それでしたら私の主張とほぼ同一と思います。
    やっぱり偉い先生(宇沢先生や学者さん達)は既に知ってはったんや~と感服しきりです。宇沢先生のご本読んでみようかと…次はw
    (読書の秋を満喫しております、最近はw)

    >グローバリズムは人工的で不自然なのではないかと。

    全くもって同感です。
    ナショナルやナショナリティや国という共同体の概念が自然とすると、なんというかこう…
    https://www.youtube.com/watch?v=GsymOB_8B5I
    動きが不気味な四本足ロボット

    上記の映像を見ていただけると、なんとなく「うへぇ…」が理解していただけるかとw
    (短い映像ですwロボットをディスっているわけではないんですがw)

    >人間以外の生物に進化する恐れがあります。宇宙人(あの人です)とか。

    えっと金星人の鳩なんとかさんでしょうか?w

  9. 9
    noranekoma のらねこま  :

    >>コテヤン@どうやら管理人さん

    はい、話が脱線しますw。
    いや~あの動画は最高ですよね。そんでもって、あれのマネするアホな人間がいて、蹴られたらこけちまうの。そっちの方がグローバリズムに近いかも。人工的なロボットのマネしてもダメよ、人間は普通に二歩足で歩かないと。

  10. 10
    コテヤン@どうやら管理人 コテヤン@どうやら管理人  :

    >>のらねこまさん
    たしかにそのイメージですねぇw
    新自由主義って人間の存在をコミュニティ等々から切り離して、完全な個人という原子で考える思想とも言えると思うんですけど、それはもう人間じゃないなにかですねw

    のらねこまさんのご著書の中で確か「ロボットを人間に置き換えた経済の考察」があったと思うのですが、ロボットのみの社会なら新自由主義が成立するかも…?とか考えさせられましたw

  11. 11
    noranekoma のらねこま  :

    >>コテヤン@どうやら管理人さん

    >ロボットのみの社会なら新自由主義が成立するかも…?
    おお~確かにそうですわ。ロボットなら完璧な「経済人」になれますよね。合理主義的な行動を寸分たがわずやるので、理想的な「神の手に導かれた世界」が成立します。もちろん人間が誰も居ない世界ですが。おそろしー。

  12. 12
    コテヤン@どうやら管理人 コテヤン@どうやら管理人  :

    >>のらねこまさん
    あのご著書で大変、色々考えさせられましてw
    私ものらねこまさんが>>11仰っている「恐ろしい」世界を想像してしまいましたw
    想像すると本当に恐ろしいw

    なんか30年後くらいに技術的特異点が来るとか言われてますが、本当に来るんでしょうかね?
    理工系の知識は皆無なもので、夢が広がるような、恐ろしいようなw
    ご著書の命題にあったようにユートピアなのかディストピアなのかw